ブラジル発 セクシー&キュートな洋服屋の生活裏話 (格安ネットショップもオープン ダンスファッション サルサ ナイトクラブに!) -4ページ目

ゴイアニア~フォタレザ 2千キロの旅 第2話


日本では荘厳としたムードで向かえるお正月。


ゴイアニアでは新年のショボイ花火が上がるだけで、特別何もイベントはない。そして、お金持ちはその時期、ビーチで長期の滞在を楽しむのだ。


お金持ちでなくても、それなりにビーチとか川に向かう人が多い。


そして、わたし達は義父の自慢の「海の家」へと出掛ける事になった。義父はもう何度も彼女と二人で車で往復していた(恐るべし体力)


結局今回は、お義父さんのセダンの車にわたしと彼、彼の弟、義父、義父の彼女の5名が同乗する事になった。そして、その時点ですっかり憂鬱になったわたし。。。


というのも、5千キロものドライブ(これもドライブと言うのだろう)に大の大人5人で行くのだ。しかも、みんなそこそこデカイ。特別太っているわけではないが、やはり後部座席に3人の大人が、しかも骨格のデカイ大人が座るとキュウキュウになる。


わたしは兄弟二人なので後部座席に2人以上乗って旅行という経験がなかった。大人になってスキーとかに行く時でも車には4名以上乗ったためしのない贅沢者だったのだ。。。


けれど、ここで駄々をこねてもしかたがなかったので、取り敢えず車に乗りこんだ。


結局、彼が運転、弟が助手席、義父の彼女、義父、わたしの並びで後部座席に座った。後部座席の3人は各自遠慮がちに小さくなろうと努力していたが、努力して小さくなれるわけもないので、やっぱりキュウキュウは免れなかった。。。


少しでも早く現地に着けるようにと、朝の4時には起き出して暗い内からゴイアニアを後にした。

そして、ひたすらただただ車は走っていく。


日本での常識で「長時間運転の場合2時間毎に休憩をいれよう」というのがあるが、こんな事はお構いなしである。出発して一度朝食代りにコーヒーを飲んだが、ほんの10分くらいですぐに車に戻った。そして、ランチに2時くらいに道沿いの寂れたレストランに入って、また永遠にドライブは続く。途中の道路は雨季の大雨で所所大きな穴が開いていて、ぼんやり運転していたら、穴にはまって車がダメージを受けるからスピードもあんまり出せない。


道路の悪さはその州の貧しさに比例している。ゴイアニア界隈は首都のブラジリアがあることもあって雨季にできた穴はたいてい乾季の内に舗装される。ところが、貧しい北に行けば行くほど道路はガタガタ最悪である。


そして、ブラジルは標識が皆無に近い。途中で小さな町に入っては、道行く人に方向を確認する必要がある。


今回のドライブで唯一の贅沢はエアコンがついているという事ぐらいだった。もしも、エアコンもついてなかったら。。。切れてたかもしれない。。。(笑)


というのも、ブラジルの1月は真夏に当たり、突き刺すような日差しがスモークをかけた車の窓からも容赦なく襲いかかっていた。


予定では、夜は物騒だからなるべく早く少しまともなホテルを探してゆっくりとしようということになっていた。


ところが、思っていた通り、7時になっても8時になっても車は走り続ける。そして、すっかり日が暮れて、もうやばいのではないかという10時頃になってホテルを探し始めるが、小奇麗なホテルは満室状態だった。土地鑑のない町の中で人に聞きながらホテルを探しに探してやっと見つかったのは、ひとりの宿泊料がR$15(約800円)というトイレとシャワーが共通の寂れた佇まいだった。。。


つづく

ゴイアニア~フォタレザ 2千キロの旅

わたしが初めてブラジルを訪問したのは2000年の暮れだった。


ガイドブックでいろいろとブラジルの事を調べてはいたけれど、当時の日本ではあんまり詳しいブラジルのガイドブックもなく、わたし達の住んでいたサンフランシスコからは直行便もなく、11月の終わり頃でなかなかチケットも取れず、やっと取れたのは


サンフランシスコ ~ ヒューストン ~ サンパウロ ~ ブラジリア ~ ゴイアニア


という最悪のコースと飛行機の遅延で、永遠に辿りつけないのではないと思ったゴイアニアの飛行場で花束を持って迎えに来てくれた彼の家族にどうにか搾り出すように一度微笑んでから、一切話す事も笑う事もできないくらいボロボロに疲れていた。


そして、車で30分ほどの彼のお父さんの家に到着するなり深い眠りにつき、目が覚めると彼の家族はみんな帰った後だった。


わたしにとって、全てが未知の世界だったブラジルだったから、


「ブラジルではこうなんだ」


という彼の言葉を鵜呑みにしつつ約2ヶ月間のブラジル滞在をエンジョイ?したのだけれど、うちの人の「ブラジルはこうなんだ」というのは、今思うと、はっきりいって全然「嘘」だったことも今更ながら発覚して、最近では彼の言う


「ブラジルでは~」


は、99%信用せずに聞く事にしている(笑)


そして、滞在中に最も最悪のうちの人が言った「ブラジルの常識」


「2千キロくらい車で旅行するのはブラジルでは普通」


というのがあった。。。それが、


「ゴイアニア~フォタレザまでの車での旅」


であった。


どうしてフォタレザに行くことになったかというと、義父の実家がフォタレザから田舎に入った所にあって、義父の夢は、フォタレザの義父の実家近くの海岸に別荘を建てる事だった。


別荘と言っても豪奢なものでなく、「海の家」というのがいかにも似つかわしい3DKの平屋なのだが、元々貧しい牧場出身の義父からしてみれば、上等な別荘だった。当時建ったばかりのその「海の家」を訪問するのはわたし達のブラジル訪問のプランの一つとなっていたのだ。


車でひたすら走り続けて2日半かかると聞いて、飛行機でいけないのかと質問するわたしに、彼は


「これくらいの距離ブラジルでは車で行くのが普通なんだ」


と説明して、ゆくゆくブラジル生活に慣れなくてはいけないわたしとしては従わざるを得なかった。


つづく

ブラジル ニッケイ新聞

ブラジルにはたくさんの日本人移民が住んでいると聞いていたが、わたしの住むゴイアニアという町は日系人家族はサンパウロなどと比べたらすごく少ない。。。


ここに来た当初は「初めて日系人を見た」と何度言われた事か。


そういう日系人の情報が皆無なわたしだったけれど、ブラジルで日本人を「勤勉で働き者」という良い印象を植え付けてくれた日本人移民に興味があったので、ブラジルの日系人向けに発行されている「ニッケイ新聞」のメールマガジンを見つけて、週1度のメルマガを楽しみにしていた。


メルマガには、ブラジルの日本社会の動きからブラジル社会の事まで網羅されていて、あまりテレビを見ないわたしの情報源ともなっている。


そして、縁あってわたしの事が記事になったのでここで紹介したいと思う。


ニッケイ新聞HP
http://www.nikkeyshimbun.com.br/Mainpage.html
(こちらからメルマガの登録もできます)


■「夫は非日系ブラジル人」=移住して改めて〝日本人〟を意識=連載(2)=生きることの困難と楽しさ=亜希子さん、初めて知った


2005年9月24日(土)

 アメリカに一年留学し、エステティシャンの資格を取得した宮崎亜希子さん(38)は、去年二月からゴイアス州都ゴイアニア市に美容室を開店した。渡伯前に働いていた経験を活かし、今年六月からは洋服屋も営んでいる。
 「この仕事は人間模様がよく見える」と宮崎さん。「ゴイアニアの人はほとんど一人では美容室に来ない。中、高校生の男の子も親と来たり、年の離れた恋人同士も多い」。女性一人では美容室に行かせたくないという男性が多いため、「もし女性一人で来る場合のために」と、夫であるブラジミール・タートマーカスさん(36)の案でゲイの美容師を雇った。「これで恋人が様子を探りに来ても大丈夫」と笑う。
 「髪の毛もそうだけど、服に関してもブラジル人はおしゃれ」。洋服屋ではパーティが多いのでドレスを中心に販売している。一方、ブラジミールさんはフェスタの音響や照明サービスをする傍ら、夢であった乳牛や豚の飼育もしているが「全然収入につながりません」と苦笑い。
 また、宮崎さんはインターネット上で店を開き、現在取り扱っているブラジルのドレスを販売している。「最近すごく増えている」というブラジルに興味を持つ日本人に協力してもらい、ブラジル国旗をプリントしたTシャツも作製予定だそう。「結婚式にバイアーノのドレスを着せたいって人もいる」というほど。その他、「夫がアメリカへ出稼ぎ中に集めた」という洋服を貧しい人に寄付をするなどボランティア活動もしている。
 「初めの二年間は、ブラジル人との考えのギャップばっかり考えていた」。ブラジミールさんがアメリカへ出稼ぎに行き、帰国した当初は親戚中から「お金を貸して」と電話がかかってきて、煩(うる)さすぎて電話線を切るほどだったそう。「ブラジル人は貸したら返さない。お金が絡まなかったらいい人なのに…」と呆れた声で話す。
 また、「常に家族が一緒に行動する点が日本と違う。ガソリンを節約するために、車が三台あっても二台にしてすしずめ状態になる。日本の通勤ラッシュよりひどい」と驚く。「夫の弟と三人で一緒に住んでいた時もあって、夫婦二人になりたいと思う時があっても、どこへ行くにも三人一緒だったのはしんどかった」。
 宮崎さんはブラジルに対して「お決まりのリオのカーニバルかボサノバくらいしか知らなかった」と言うが、アメリカに留学中、出稼ぎに来ていたブラジミールさんと出会ったことがきっかけで、二〇〇二年からブラジルに住むことになった。もう一つのブラジルに関する情報といえば「伯父が移民」だということ。初めて訪伯した時に伯父の実家があるフォルタレーザを訪れ、「道路も舗装されてないような田舎町の貧しさに本当のブラジルを見た気がした」と言う。
 このような貧しさを見て、「日本で不法就労している外国人を忌み嫌っていたけど、そうする以外どうしようもない事実を知った。夢を実現する手段の一つに『出稼ぎ』という考え方があることを知り、目から鱗が落ちた気がする」と日本にいた時と現在との考えの変化を話す。
 また、「何不自由なく何の夢もなく生活していた自分が恥ずかしくなって、本当の意味で生きる困難と楽しさを知った」。洋服屋と美容院、ボランティア、次々と夢を持ち、ブラジルで実現させてきた宮崎さん。今後はインターネットでの商売を通じて日伯交流を計りたいと語る。         つづく   (南部サヤカ記者)


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ニッケイ新聞のHPで新聞紙面に連載された全記事が載っていますので、興味のある方は是非HPを覗いてみて下さい。


まぁ、電話でのインタビューでしたので、記事のところどころに小さな間違いがありますが、こんな感じである事は確かです。


ただ、Tシャツに関しては、ボランティアの一環としてその収益を恵まれない子供達へ寄付する事を目標にプランを立てていますので、その際は、皆様ご協力をお願い致します。

賃貸牧場の因果応報

kaji


かなり前に記事を書いて放置状態だった「賃貸牧場」のその後について書きたいと思う。


どうして、尻切れトンボになっていたかというと、あまりに理不尽だったので自分の中で浄化されるのを待っていた。


まず、賃貸牧場を手放す発端は、隣の牧場主でわたし達に賃貸している女性の伯父にあたる人物が、大豆を植えるために国で決められている準備を怠って土地に火を放って野焼きをしたから賃貸牧場にまで火が寄せて来て、こちらの囲いが焼けてしまったりしたにもかかわらず、修理をするどころか



「火は付けてない」



としらばっくれて、終いにはうちの牧場管理人に再三の嫌がらせをしたのだ。


そして、うちの人がフランスに住む貸主に相談しても、彼女は知らん顔で、メールにも返信しないわ、電話も留守電。。。


そんなこんなで契約を破棄した賃貸牧場だったのだ。



話しは変わって、いつもわたし達がお世話になっている占い師「ドナポリシダ」が先日興味深い事をいった。



「あなたに悪い事をした人達は、必ずした事以上のひどい目に合う事になっているよ。」



ここで、興味深いのは



「そう決まっているということである」



日本語の「因果応報」の世界だ。


そういえば、確かに過去にもいろいろなことがあったが、どう考えても理不尽だと思った相手は何かしら後からひどいことになっている。うちの人が何をした訳でもないが「自業自得」だと思う状況に陥る人が多い。



話は戻って、近所の牧場主の嫌がらせがあまりにひどいため、かんかんに怒ったうちの人と牧場管理人が「やつの牧場に火をつけてやる!」といった事があったが、「あなたが手を下さなくても必ず何かが罰してくれるはずだよ」となだめたものだった。


そして、あれから1年ほどが経過しようとして風の噂で彼の牧場から高価な乳牛が18頭も盗まれたと聞いた。風の噂というより、もう、この辺では有名な嫌なヤツな訳だからみんな楽しみながらその話題に耽っていた。



でも、個人的にはこれくらいでは足りないと思った。。。



そして、先日たまたま牧場に行った帰り道久しぶりに遅くなり、賃貸牧場の辺りを通った頃は、辺りは真っ暗になっていた。そして、チラチラと野焼きの火が見える。あぁ、今年も雨季に入る前の去年と同じ時期に火を放ったんだなぁと眺めていると、何かがおかしい。。。


だんだん火が近くなってよくよく見ると、放牧地だけでなく牛のワクチンや運搬の時に利用する「コハウ」という囲いも燃えているのが遠くからでもはっきりと見えた。


そして、もちろん、牧場の辺りには消火を手伝ってくれるような消防署など存在しないから、去年うちの人達がやったように自分達の手で消火作業をしないといけないのだ。



因果応報



この言葉が頭をよぎって、悪いけれど清清しい気持ちになった。

悪い事はそうそう見逃されるものではない。


ちなみに、対応の悪かったフランスに住む賃貸牧場の貸主は、誰も彼女の賃貸を手伝ってくれるわけもなく、結局、この伯父に無償で管理してもらっているらしい。。。

スピリチュアルと占い

日本に住んでいた頃、特別占いやスピリチュアルな世界には興味がなかった。
唯一、分かりやすい「手相」などはみてもらったことがあるけれど、何をいわれてもあんまり気にしなかった。


けれど、一度ある手相見の女性に


「あなたは、外国で死んでも気にしないタイプね」


と言われた事があった。もちろんそんなことは忘れていたけれど、ブラジルに来てから彼女の言葉を思い出した。


手相のどういう部分を見て彼女がそう言ったかは分からないけれど、確かに今、日本の裏側のブラジルの田舎で日本の情報や物から離れた生活をしていても、気が狂うほど日本を恋しく思うような事はない。


例えば、日本の自分のアパートの狭いトイレに入る時、あまりの狭さに息苦しくなるので常にドアを開けて使用していたり、少し「閉所恐怖症」的な部分のあるわたしには、日本の生活は息苦しかったように思える。


今このだだっ広いブラジルで、全てがスケールが大きくて余裕があるとなんだかほっとして居心地がいい。


話しは戻って、スピリチュアルや占い関してはブラジルに来てからの方が興味を持つようになった。それというのも、この町からは月や星がよく見える。牧場の夜空は圧巻だ。こんな環境に生活していたら、嫌でも星座に興味が沸きそう。というのも、日本の暗い空では星座を探し出すのにひと苦労したけれど、ここでは、はっきりくっきりと星を探し当てる事ができる。


そして、月の満ち欠けは気にして眺めなくてもなんとなく生活に密着しているような感覚を受ける。日本のカレンダーに「大安」や「仏滅」が記載されている感覚でブラジルのカレンダーは「月の満ち掛け」を記載しているものが多い。そして、気のせいか月に導かれる行動を取る人も多いような気がする。まぁ、海の満ち引きに普段からあれだけの影響を与えているのだから当然といえば当然かもしれない。


今までにも何度か書いた占い師の「ドナポリシダ」がタロットと星座、月の満ち掛けを基本に占いをするように、ブラジルでは、血液型がどうのこうのという話しを聞いた事はなくても、「彼女はさそり座だからね」などとはよく聞く。人の性格を表現する時に星座をあげる人が多いし、そういえば当たっている。


なによりも、わたしが占いを信じるようになったのは、ドナポリシダを知ったからかもしれない。彼女は曖昧な事を言ううのでなく、「今年中にファミリアが一人亡くなる」とか「問題の件は女性の担当者が助けてくれる」とか「焦げついている支払いは2回に分けて払ってくる」などと予言して、それがぴったりと恐いくらいよく当たるのだ。


ところで、「星占い」という言葉は昔から使っていたかな?と思うのだけれど、最近なんとなく新鮮に受け止めれるようになって、たまたま知合いに進められて覗いたマイナーなサイトがあった


「筋トレ???」


いったい何???「星占い」とは程遠いネーミングのこの占いサイト???

しかも、注意書きにわたしが初めてアクセスしたとき


「アダルト検索でヒットされた方、ゴメンナサイ」


とか書いてあるし。。。でも、「筋トレ」ってアダルト検索のサーチワードとは知らなかった。。。


普通の星占いサイトってもっとなんか可愛かったり魅惑的な画像が貼ってあったりしないか???と思ったけれど、画像一切無しのテキストばっかりのこのサイトを興味津々で読むとどうやら「石井ゆかり」という方が主催していることが分かった。


さらっと読んで流そうとう思って訪問したはずが、気づくとなんかすごく読んでるわたし。。。


だって、文章が面白い。。。


落ちのついている星占いなんて見た事ない(笑)


けれど、毎週更新される「週報」を読むようになって思った事。。。


この石井ゆかりさんってただ者でない!!!

恐いくらいよく当たる!!!


うちのブラジル人に関していえば、この週報に操られているかのように行動しているのですよ!!!


仕事と書いてあれば仕事。。。ファミリアと書いてあればファミリア。。。


ここまで当たるとは???ブラジル人向けにポルトガル語で書くべき!!!


とまで思うわたしだったりする(笑)


ここまで来たらみなさんも興味津々だと思いますので隠して置かないでサイトへのリンクを貼っておきますので「時間のある時」ご訪問下さい。読破するのに時間かかります(笑)


http://www.st.sakura.ne.jp/~iyukari/


なんだか、マイナーで密かに人気だったのに本まで出版されるらしいです。
密かなファンとしては、うれしいような寂しいような。。。
でも、わたしと同じ貧乏仲間みたいなので売れて印税生活して占いを本業にしてもっとパワーアップして欲しい(笑)

ブラジルの家電

日本のように自国でテクノロジーを開発している国では気軽に家電にも新しいテクノロジーが取り込まれるし、次々と新製品が出て来ると、その前のモデルはいきなりバーゲン品となる。ステキな仕組みだ。。。


ブラジルのようにテクノロジー開発なんかと無縁の国では、まず、家電とテクノロジーは無縁の関係である。というのも、当然だが家電は基本的には自国で作っていて、オーディオ品でない限り、日本のメーカーの名を見ることはない。 そして、テクノロジーの取入れの足を引っ張るのが、この国のピラミッド型の貧富の差である。安ければ安いほど売れるのである。つまり、シンプル且つ手の込んでない品物でないとなかなか売れないのである。というわけで、今では日本ではすっかり普通に家電に取り入れられている「ファジー」の機能なんか全く無縁となる。


わたしが、この国の家電で最も嫌いな物。。。「冷蔵庫」である。


最近の日本では冷凍室に氷が張り付いて、定期的に解凍をしないといけない冷蔵庫なんかお目にかかれないのではないだろうか?間違っても新品の家電のコーナーに売ってはいないだろう。日本ではすっかり当たり前になってしまった「フロストフリー」の冷蔵庫。冷蔵庫を買いにいって「フロストフリーの冷蔵庫が欲しいんですが」なんて売り場の人に言ったら、逆にきょとんとされてしまうかも。。。


ところが、このテクノロジー後進国ブラジルでは、「フロストフリーの冷蔵庫」は輝ける羨望の眼差しの商品。値段も普通の冷蔵庫の倍くらいしたりする。円換算すると日本の冷蔵庫と変わらないくらいの値段。けれど、間違っても日本の冷蔵庫と同じ機能を備えているとは思えない。。。


ブラジルに来てすぐに、自分に必要な家電を自分で購入したわたし。当然、洗濯機は全自動を購入。ブラジルでは中流以上の家庭ではお手伝いさんがお洗濯もしてくれるので、脱水機能もついていないただくるくる回る洗濯機が主流で、まだ家が工事中だった時で、作業員のみんなが珍しそうに届いたピカピカの全自動洗濯機を眺めていたのを思い出す。


洗濯機にはこだわった?わたしだったが、冷蔵庫を選ぶ時に油断してつい普通の冷蔵庫を買ってしまった。今となっては取り返しがつかないけれど、このフロストフリーでない冷蔵庫はすぐに冷凍室に氷がへばりついて、定期的に解凍しないと冷蔵庫の機能を失ってしまう上に冷凍室の半分くらいが氷に侵されてなんにも入れられなくなる。買って、半年もたたずに、1枚扉の冷蔵庫の中の冷凍庫用の中扉は氷の侵入で壊れ落ちてしまった。。。たとえ氷をまめに取ったとしてもアイスクリームのまとめ買いなんてできない。。。そして、大好きなアイスクリームは買ったらその場で食べないといけない。手作りアイスなんか作れるわけもない。。。こんなに素材が豊富な国に住んでいながら残念な話である。。。


ブラジルに来て、所持金を使い果たしてしまったわたしだから、フロストフリーの冷蔵庫が買える日は遠い。。。

定価のない国ブラジル

ブラジルには「定価」という観念がない。だから、日本のように商品に「希望小売価格」などの記載もない。唯一「定価」という形でコントロールされているのは「ポン フランセーズ(地方により呼び名が異なる)」というフランスパンの値段くらいだ。


食料品などはその時期の作物の出来だとか、買占めや放出の具合によって価格が上下するけれど、販売する店によってびっくりするほど価格差が生じる事は少ないと思う。それに対して、洗剤などの化学薬品などを使用した商品になると店によって値段が倍くらい違っているという事態も発生する。仕入れ時によって差が出て来るのか、店の方針によってそうなるのかは不明だけれど、自分の中に適正価格ができあがってないとすごく損をしたりするから、普段から買わなくても洗濯洗剤や柔軟剤の値段はチェックをかかさなかったりする。


ところで、ブラジルでつくづく思ったのは「安いものは薄めてある」ということだ。食品で言うと「ヨーグルト」。安いヨーグルトは確実に水で薄めてある。日本の場合、安い品物がそうそう粗悪品という感覚はないが、ブラジルの安物は薄めてあるので、洗剤など安物を買ってもブランドネームのちょっと高い品物を買っても結局同じだけのお金を払う事になる。


洗濯用の洗剤に至っては、安物に手を出すとびっくりするくらい汚れが落ちない。ただの石鹸を削ったような代物だったりする。けれど、環境のことを考えるとこういった洗剤の方が自然に害を及ぼす力は弱いのかなぁなどと思ったりもする複雑な感じです。




追記。。。
最近、更新が遅れていて申し訳ありません。アメブロの管理画面が更新されて以来わたしの古いPCでの記事の入力がうまくいかないので、ちょっと面倒な方法で記事をアップしているという事もありどうもやる気がおこりません。。。
そんな中、いつもご訪問下さる方々、どうもありがとうございます。

日本語ブーム?

ブラジルには人口の約0.1%ほどの日系人が住んでいるらしい(不確か)。けれど、移民した日本人が「農業の神様」と呼ばれたほど、農業大国ブラジルでの農業に貢献したので、人口比に比べて大きな認知度があると思う。果たして、ブラジルにどれくらいの中国人や韓国人がいるのか知らないが、日本人の認知度は中国料理屋のメニューで「やきそば」が「YAKISOBA」、「餃子」が「GYOZA」と記してある事からも分かる。


ちなみに、「ヤキソバ」は、ブラジルで最も認知度の高い「コミーダ ジャポネーズ 日本食」なのに当初びっくりした。普通、日本食といえば「寿司」「刺身」「スキヤキ」がくると思うが、この日本食の王道の三点を知らなくても「ヤキソバ」を知っているブラジル人は多い。ブラジルでの「ヤキソバ」の歴史は知らないが、思うに、ブラジルに住む日系人が毎年恒例で開く「盆踊り大会」の露天として出されてそれが広がったのではないかと思う。わたしも一度、この日系人人口が少ないゴイアニアのフェイラ(日曜市場)で「ヤキソバ」の露天を見掛けたことがある。


そして、普通のレストランよりも価格設定が高い日本食レストランで一番安い値段なのも「ヤキソバ」なので、日本食レストランで見掛ける生粋のブラジル人達は必ず「ヤキソバ」をオーダーしている。


話しはそれてしまったけれど、昨年あたりからやたらと日本語をプリントしたTシャツなどを見掛けるようになった。わたしが初めて見掛けた日本語プリントのTシャツには、でかでかと。。。







「吉本」







とプリントしてあって「???」と笑いがこみ上げた。他に多いのが、海賊版のアニメプリントTシャツで、それもマイナーな一体どこから手に入れたのだろうと思うようなおたくっぽいアニメのワンシーンがTシャツ全体にプリントされていたりする。これを堂々と来て日本で闊歩できる日本人はなかなかいないと思うが、ブラジル人が着ているとまぁ、別におかしくなかったりするのも不思議だ。


そして、最近では様々な洋服にも漢字やカタカナがプリントされた洋服を着た人を見掛けるようになった。日本がいったいどこにあるのか分からないようなおばさんまでも日本語プリントドレスシャツを着ているところを見ると、その生産量の多さが伺える。


そして、生産量が多くなればなるほど、日本語とは無縁の人達が「なんとなく売れるから」という理由で作るようになって、そこには鏡で写した逆向きプリントから意味不明のただ文字を並べただけのものまでブラジル人らしいいい加減な粗悪なものが流通している。


そして。。。今日は決定的なものを見せつけられた。ご夫婦でサロンにいらっしゃったお客様のご主人が英語がしゃべれるという事でわたしに話し掛けて来た。


ご主人「この腕のタトゥの漢字の意味を教えて」

わたし「。。。」一瞬沈黙


ちょっと。。。かなり困った。。。見た事ない漢字?そこに入れられた記号?は







「生」と「注」の中間の文字。。。







つまり、「生」にしては、2番目の横棒にも点がついてるし、「注」にしてはさんずいの最後のはねがない。。。わたしが言葉に詰まりつつかろうじて「LIFE VIDA」に近い?文字だけど、ちょっと存在しない漢字だと説明すると


ご主人「フリーダムって入れてもらったんだけど。。。」




「自由?!」





で、解決策として、運良く?点点が通常より小さく下の方に付いているので、その点点の上から縦線を引いてアシメトリにもう一方にも線を引いて「由」に変えて上に「自」をいれる。彼は少しショックを受けつつ笑って「文句を言いに行く」と言っていたが、かなりショックだったに違いない。というのも、おしゃべり大好きなブラジル人だからタトゥを入れた直後にたくさんの人に「これはフリーダムという漢字なんだ」と自慢したに違いない。それが、全く違っていたどころか存在しない文字だった。。。


彼ら曰く、タトゥを入れたお店はゴイアニアでも大きなショッピングセンターの中にあって、ブラジル人のいろんな名前とか言葉が漢字でのった3cmくらいも厚みのある本を持っていてそこから選んだらしい。そのお店に出向いて、その本の中身を添削してみたいものである。


もしかして、彼の入れた「漢字?」が中国語に存在していたら連絡しますので、どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらコメント下さい。

ブラジルの軒先バー(飲み屋)

ブラジル人は、18歳以上になると飲酒できるようだけれど(不確か)何歳でお酒を飲もうと誰も気にも止めない。うちの人曰く、「焼き立ての塩味のきいたアツアツのシュハスコのひときれをビールに浸して食べる」のがお子ちゃまの初めてのビール体験らしい。


ブラジルでは、三歳くらいの子供にも欲しがれば平気でコーヒーを与えるし、あんまり食べ物に関して「大人の食べ物」だとか「子供の食べ物」だとかいう区別もない。


話しがそれてしまったけれど、ブラジルには星の数ほど「バー」がある。洒落たインテリアのバーもあれば、家の軒先を利用しただけの「バー?」って感じの「バー」も存在する。軒先に一体誰が来るのかと思うけれど、そういう民家の中にひっそりとあるバーの方が賑わっていたりもする。

小洒落たバーはもちろんデートなどに利用されるのだが、軒先バーは。。。そう。。。「妻帯者の安らぎの場」なのだ。


軒先バーの特徴としては、「女性がいない」というか「女性が来るのを店主も客も嫌う」そこは、「ブラジル人男性達の束の間で唯一の安らぎの場」なのである。


ブラジル人は男女共に極めて嫉妬心が強い国民だが、結婚後は、女性の方が嫉妬心が強くなるように思う。というのも、たいていの人達は結婚後すぐに子供をもうけるので、女性は育児でなかなか自由がきかない。で、育児をあんまり手伝わずに自分だけで旦那が夜出掛けようもんなら大変な事態に陥る。実際そんな夫婦をたくさん見て来た。出掛けた旦那を探しに子供を放って旦那の行きそうなバーを探しまくる妻。女癖の悪い旦那で他の女性とデートをしている所なんかを押さえられた日には修羅場は免れない。。。


例え軒先バーでひと時の安らぎを満喫しているとしても、そういう女性と結婚してしまった男性は軒先バーで散々嫌味を言われ、みなの同情を背中に一斉に浴びながら自宅へと連れ戻されるのである。。。


我が家は、なぜかうちの人の妻帯者友人が結婚生活を相談に来たり、喧嘩して帰る場所がない時の宿と化している。なので、妻達が旦那を探す時に最初に立ち寄る場所であるから、彼女達の様子を何度も目にした。個人的には「追いかければ逃げる」の構図が目に浮かぶから、単なる悪循環にしか見えないが、彼女達も必死なのである。家にいて子供に当たるよりはいいのかもしれない。

哀れ。。。ブラジル人男性。。。


とはいえ、結婚生活はお互いの責任で成り立つものだからどちらが悪いとはいえない。

ポルトガル語と日本語


日本はポルトガル人が長崎を中心に残した数々の言葉を日本語として使っているけれど、ポルトガル語を使うブラジルに住んで、わたしが知っていた以上にたくさんのポルトガル語が語源の言葉があることに気づいたので少し紹介したいと思う。


まず、みなさんもご存知のポルトガル語をそのまま取り入れた単語


パン、カッパ、コップ、もっとあったと思いますがちょっとド忘れ。


意外にポルトガル語が語源の単語


金平糖(こんぺいとう)→ confeito コンフェイト(砂糖のお菓子)

おんぶ → ombro オンブロ(肩)

てんぷら → temperar テンペラー(焼入れする)

ビッコ → bico ビッコ(俗語みたいでつづり不確かですが左右の長さが違うこと)


以上の単語は確実にポルトガル語から来ているけれど、わたしが日々の生活の中で「これは!」と思うものが多々ある。


思うに、遠い昔に日本に訪れていたポルトガル人は確実に男性だったはず。ポルトガル語には日本語ほど男性と女性が使う言葉に違いがないが、ポルトガル人の男性が使っているということから男性だけが使うようになった言葉も多いのではないかと推測できる。その代表的な単語が


「おい」


だと思うのはわたしだけではないはず。「oi」は、ブラジルでは老若男女普通に使う挨拶の言葉。日本では、男性言葉として使われるようになったと思われる。


他に、丁寧に物を表現するときの


「お」 お子様 お母さん お爺ちゃん


ポルトガル語の場合、男性名詞を丁寧に表現するときに「o」を使う。女性名詞には「a」が頭につくが、「o」だけが残ったのではないかと個人的に思ったりする。人の名前にも、例えばマセロさんなら「o macelo」、バニアさんなら「a wania」と使用する。

そして、汚い話だけれどもしかしたら「おしっこ」や「うんこ」もポルトガル語が語源ではないかと考えたりする。


というのも、俗語で「おしっこ」のことは「シーシ」、「うんこ」のことは「コォコォ」という。


もともと日本は島国で大陸からの影響を受けやすい国民性を持っているから、これくらい流行語になってもおかしくないのではないかと思う。とはいえ、研究者ではないのでもしも違っていましたら、訂正をお願いします。また、他にも日本語の語源になったと思われる単語をご存知の方、是非教えて下さい。


日々、いろいろな発見のあるブラジルです。