ブラジル発 セクシー&キュートな洋服屋の生活裏話 (格安ネットショップもオープン ダンスファッション サルサ ナイトクラブに!) -14ページ目

ブラジルに住む日系人

ブラジルに来た当初、たまたま行った八百屋さんが日系人のお店でそこのご主人と話をする機会があった。

おじさんは、赤ん坊の時に両親に連れられて沖縄から移民して来たとか。
3年ほど日本に出稼ぎに行って、つい最近この商売を始めたとおっしゃってました。

どうりで、ただの八百屋さんにしては大き目の店構え。で、多少の余裕というか無駄がある。普通のブラジル人が経営する八百屋は日本の寂れた商店街にあるような小さなものか、もしくは金持ちが経営する大規模八百屋が普通だから、中途半端な大きさ。日本で稼いできたお金がなければ到底ムリな店構えだとひと目でわかる。

おじさんは、赤ん坊の頃にブラジルに来たので、日本に行くまでは片言の日本語しかしゃべれなかったとか。今は、日本で働いて、結構流暢にしゃべるけれど、やっぱり日本生まれ日本育ちとはちょっと違う。

話してると、おじさんがひとつの疑問を投げかけてきた。

「僕は日本は両親の祖国だから楽しみに出掛けたんだけど、東京の駅の売店で静岡に行くにはどうしたらいいか訪ねたら、すごく冷たい扱いを受けたんだよ。当時、日本語がうまくしゃべれなかったからね。でも、日本人は親切だと聞いていたからショックだったよ。」

わたしは、どう説明していいか分からなかったが、かろうじて

「日本人は、日本人と同じ顔をした人が日本語をしゃべれないとびっくりするんですよ。最近中国人の犯罪も多くって、警戒するところもあるし。。。」

そう言いながら、心の中で「そうだろうか???」と問い掛ける自分がいた。

わたしの説明もひとつの理由ではあるけれど、最近のブラジル日系新聞のメルマガでそれに触れていて深層心理を目の当たりにした。

日本に住む日本人は、親類にブラジル移民がいて日本に出稼ぎに来ることを恥ずかしいと思っている。日本への出稼ぎ者が自宅を訪問することはあまり歓迎しない。しかし、ブラジルで地位のある職業に就いていて日本へ祖国として訪問する場合は、言葉の壁も超えて歓迎する。

おじさんが質問した時、わたしの中にもこれと同じ理由が密かに浮かんでいたが、故意にかき消した部分がある。なんせ、自分の夫も出稼ぎ者だったのだから。彼と出会わずに、ブラジルの出稼ぎ事情を知らなかったら、わたしも上記の人達と同じ気持ちだったに違いない。先進国の日本に住んでいると、後進国の実態をよく理解できない。

先にも書いたけれど、ブラジルでパイロットをしていた人達も出稼ぎでイエローキャブの運転手を取る国なのだ。この国で、かなりいい待遇の公務員でも月の給料は、R$5,000、ドルにするとわずか$1,800ほど。。。日本の大卒初任給より低い。

おじさんとの話の最後に、おじさんは、自分の子供たちがあんまり日本語がしゃべれないのを悔やみながらも、「子供達には自分が日本で受けたような目にあわせたくないから、絶対日本への出稼ぎにはやらないんだよ。」と笑いながら話した。

そして、うちの旦那さんとポルトガル語で少し話をしていた。

このおじさん、八百屋の経営が今ひとつで、現在またもや日本へ出稼ぎ中。こうやって、ブラジルでの商売の資本金を捻出するのがブラジル流。とてもとても普通にやってて資本なんかブラジルでは貯めれない。

ところで、その時おじさんと彼が特に何を話したのか気にも止めてなかったが、おじさんは、こう言ったのだとか。

「出稼ぎ者は、大金を持ってブラジルに帰って来てすぐは何もしない方がいいよ。のんびり一年様子を見て、事業はそれから始めないと詐欺に騙されたり大損をすることが多いんだ。」

と話したらしい。実は、このことはブラジルに帰って一年後に彼から聞いた。
そして、この一年を振り返ってみて納得した。

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ブラジルの車事情

トラックが見つかってから1ヶ月以上たってもいっこうに修理屋から戻って来る気配なし。

というのも、盗まれたパーツを中古で探してたからです。
もちろん、メーカーに行って新品を注文すれば早々に車は元の姿に戻るはず。でも、そんなことをしたら、莫大なお金がかかってしまう。で、しょうがなく中古パーツ屋を巡るわけです。

ブラジルの車の盗難は確実にひとつのビジネスとして成り立っていて、車を盗む専門、盗難パーツを買い取る業者とその間にはもちろん警察関係者も入り込んでいて、なかなか根絶できない状態。

つまり、盗まれた自分の車のパーツを探しにパーツ屋を巡るといった感じ。この町にも見るからに盗難品と分かるパーツを陳列した中古パーツ屋が軒を連ねている地域があって、探しながら怒りがこみ上げてくる。

そして、なんとか元の形に近い姿まで修復して我が家に戻るまで、約2ヶ月の入院が必要でした。結局、修理代にかかった金額は自動車保険代と同じくらい。

この事件を境にトラックを所有するということが、どんなに危険でお金を食うのかよ~く勉強したうちの旦那さん。ブラジルで目立つという事が危険につながるということもやっと理解して、少しずつブラジル人に同化してきた。。。かな???

さて、わたしはというと、だいたいタイヤが4つ付いてれば「車」。
それが、トヨタだろうがBMWであろうが全然関係ない。
もともと子供の頃から車酔いしてたから、子供の頃は車に乗るというのは拷問に近かった。外食も旅行も大嫌いでした。しかも、父の買う車はいつも深緑とか紺色とか見るだけで酔っちゃいそうな色で、今も尚、父がどんな車に乗ってるのか興味なし。車名も覚えたためしがない。

我が家には、来た当初わたし用に購入したフォルクスワーゲン「ビートル」1974年ものがあって(約12万円で購入)、この、地を這うようにのんびり走る車の方がお気に入りだったわたし。ちなみに、ブラジルでは「ビートル」のことを「フスカ」と呼ぶんですが、この車、ブラジル人にとって「貧乏人の象徴」みたいな車で変わり者以外中流以上の人は乗ってない。

それだけに、どんなに貧乏な地域に入り込んでも誰も気に掛けないし、誰も色眼鏡で見ないからお気に入りなんですけど、自分でうまく運転できないのが難。。。
一応、自動車学校ではマニュアル車で免許を取ったから、練習すれば自転車と同じだと思ったけど、やはり、1974年ものは、現在のマニュアル車とは訳が違う。クラッチの切り替えが硬いバネみたいだし、ギアがスムーズに動かない~。しかも、ブラジル人の運転は、かなりひどい!平気で内側からカットしてくるし、フスカと見るや、追い越さないと気が済まないように追い抜きを掛けてくる。。。しかも、エンジンにガタが来てるから、忘れた頃に動かなくなる。。。

ということで、現在のわたしは完全に助手席専門。

わたしの目標は、この1974年のフスカに新品のエンジンを入れて、オートマ車にすること。外側が古いから安全だしね!

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トラック見つかる

うちの近所に住んでる人達で、車を盗まれたことがない人はかなりラッキーな人。というくらい、ブラジルでは車の盗難が多い。

サンパウロ辺りでは、信号待ちの車に銃を付きつけて盗難されることが多いらしいけど、最近は、覆面パトカー用の取り外しできるサイレンを違法で付けて、もしもの時に逃げれるような対策を取っている車も多いとか。もう、なんでもありです。

さて、夢のトラックを盗まれた彼は、もう、ショックと怒りで気も狂わんばかり。自動車保険もあまりに高額でかけてなかったから、見つけ出すしかないと、知合いという知合い総動員。運良く、彼の親類縁者は警察関係者が多い。しかも近所の仲のいいおじさんも警察トップクラス。みな、口々に「絶対見つかるから」と言ってくれたけど、実際は、2日が過ぎ。。。5日が過ぎ。。。。1週間が過ぎ。。。
わたしは、ほとんど諦めムード。でも、彼は、毎日毎日何かしら情報を掴んでは探しに出掛ける。

そんな彼も10日を過ぎた頃からパワーもなくなって落ち込み状態。

もう、ダメかも。。。と思った2週間目のある日、警察から電話が

「あなたのトラックが見つかりました」

「やっぱり見つかった!絶対見つかると分かってたんだ!」

と、意気込んで出掛けた彼。

朝から出掛けて、いっこうに帰ってこない。夕方になって帰って来た彼はまだ興奮を隠しきれず、

「車体にもキズ一つなく、エンジンもそのままでよかった。。。」

「モチロン、カーステレオもお気に入りのサングラスも盗まれてたけど。。。」


まぁ、なんとか無事に見つかってホッとしたものの、事実はそんなに甘くはなかったのを後に知らされたわたしです。

見つかった当初は、彼も見つかった事に感謝して、怒りと悲しみをなんとか押し込めようと彼なりに必死だったみたいで、とてもとても、わたしにまで本当の状況を話せる余裕はなかったようでした。


事実とは、トラックのパーツというパーツはタイヤ、窓ガラス、バンパー、ハンドル、チェア。。。。もう、上げると切りがないくらい細かいパーツまでGONE!(←なくなっちゃったっていう意味ね。まさに、ガーン!)
残ってたパーツの方が少ないくらい。でも、彼はエンジンが残ってた事に感謝してました。(一応、謙虚)

かなり、状態が良くなってから彼と一緒に見に行ったけど、バンパーのないトラックってかなりマヌケ。真正面から見ると泣いてるみたい。

ちなみに、彼は見つかったトラックを見た時涙したらしい。。。
確かに、この状態でも涙がでそうなくらい可愛そうだった。。。

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ブラジルの洗礼

トラックを購入して、車内にアメリカで買って来た派手なカーステレオを取り付け、アメリカで購入した服に(見るからにブラジル人となんか違う)レイバンの怪しいサングラス。しかも、助手席に日系人女性が乗ってる。。。

絶対、どっから見ても「金持ち」に見える。。。

わたしは本能的にこうした周囲の目を引く行動が危険につながると感じて、なるべく目立たないようにと彼に何度も説明したけれど、当時の彼にはわたしの言ってることの理解もできなければ、聞く耳もない。

日本でもいるでしょ。田舎から都会に出て一旗揚げて帰って来た人が羽振りのいい行動を取る。出稼ぎの多いブラジルでは、帰って来た時には、出稼ぎの国でのストレスをはらさんばかりに派手な行動を取る人が山のようにいるんですよね。しかも、当時のドルはブラジルヘアルの4倍の威力があったからすごかった。こういうアメリカが帰りの人のことを

「ダラーマン」と呼ぶ。。。

まぁ、派手に飲みに行ったりしたところで、ビール代もガソリン代もたいしたことはないから、熱が冷めるまでしょうがないかと思っていましたが。ある日の白昼、大騒ぎで呼び鈴を押す彼。

「開けろー!」「開けろー!」

もともと大騒ぎな彼だから、ハイハイと、のんびりとドアを開けると

「今、銃を付き付けられてトラックが盗まれたんだ!」

心の中で、「やっぱり。。。」とつぶやくわたし。

ブラジルは、ほんとに車の盗難が多い。車はもちろん、車の中にもなんにも置いて駐車しないのがブラジルの常識。カーステレオも表面部分が取り外し可能で持ち運べる。たったひとつの帽子のために車の窓ガラスを割って盗んでいく輩が存在するのだ。

その中でも、「トラック」は、それ専門の車泥棒が存在するくらいの大人気。パーツの全てが高値で売れる。

わたしの住んでいる辺りは、中流以上の人達が住んでいる地域だからトラックもよく見かけるのだけれど、なんかの折に貧乏な地域に迷い込んだ時には通りを歩いてる男達のわたし達の乗るトラックに対する眼差しはただものではなかった。いかにも、「お金が走ってる」って感じで眺める。

もちろん、彼もそんなことは承知の上だったから、警報機なんかも備えて、万全のつもりだったけれど、知合いを見掛けて、ついつい、車を停めて、車の傍で立ち話をしているところに銃を付きつけれらて車の鍵を奪われたら、警報機なんか付いていたところで何の役にもたたない。

帰って来た彼は、怒りとショックで呆然としつつも、少しでも早く見つけるためにありとあらゆる警察関係の知合いにヘルプを求めるのであった。

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トラックを買う

ここ、ゴイアニアという町は、前にも書いたように牧場に囲まれた田舎町。ということで、恐らくこの町に住むお金持ちの80%は、牧場か農場を経営して豊かな暮らしをしています。

みなさんも覚えてませんか?中学校の教科書で、ブラジルといえばプランテーション。大規模農場経営。当時、大規模の「規模」がよく理解できなかったわたしですが、ブラジルの農場を見て、その意味がよ~く分かりました。

永遠に続く大豆畑、とうもろこし畑、サトウキビ畑。。。
地平線の彼方まで続いています。


牧場も大きさが違う。牧場の中に小川があったり山があったり湖があったり、日本のちょっとした村一つの大きさの牧場が普通の大きさです。

で、ブラジルでファゼンデーロ(牧場経営者)というのは、言ってみれば特別階級。お金持ちの代名詞でもあります。そして、ファゼンデーロの必需品がトラックです。というのも、牧場にいろんな大きな物を運ぶ必要があるから。日本ではそうそう見掛けませんが、ブラジル、特にこの町では至るところにトラックが。もちろん、普通の車よりお高いので、そうそう買える代物ではありません。

で、アメリカ帰りのドルを持ったうちの彼と弟。牧場は購入済で、夢のファゼンデーロの仲間入りとばかりに、ある日いそいそと物色に出掛けて、二人それぞれにトラック購入。

はっきり言って当時、彼らがどれくらいのお金を持ってて、トラックがいくらくらいで、これからどれくらいお金が必要なのか、一切知らなかったわたしだったから、相談された時も

「買いたくて買えるなら買えば」

と、特に気にも留めなかったけれど、今思えば、これが疫病神の付き始まりだったのかも。

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ブラジルでの生活

ブラジルのお父さんの家にお世話になること約1週間。わたしと彼は、自分達の新居へとお引越し。といっても、実はわたし達の家はお父さんの家の真裏。しかも、ドアでつながっているんです。

実際は、新居といっても母屋の方は、窓ガラスも入ってなくペンキも塗ってない、しかも立てっぱなし状態でゴミだらけ。そういう訳で、物置用に建ててた離れを住みかに。

ブラジルのちょっとした一戸建てにはシュハスケリアという、バーベキュー用の釜を備えた簡易キッチンとトイレ、シャワー室、休憩室と日本人からすると十分住める離れが備わっています。贅沢ですよね。

で、わたし達はブラジルの自分達だけの生活をここで始めた訳です。

アメリカからコンテナで送った荷物は、到着に1ヶ月から2ヶ月くらいかかる予定だったのでベッドを備えて、お鍋を数個お父さんから借りて、持参の荷物だけで十分生活は始められました。

言ってみれば、家の敷地内でキャンプ生活って感じ。
屋根はあっても、キッチンは外にオープンになっていて食事もここ。普通のブラジルのお宅では、朝食昼食がこうしたオープンテラスで夕食は室内で取る場合が多いようです。しかもにおいがこもったり、油が飛んだりするのを気にしなくていいから大胆な料理の多いブラジルでは料理がし易い気もします。

シュハスケリアでの生活が始まり、母屋の方も窓ガラスを入れたり、内装のペンキ塗りを始めました。

全然、ブラジル事情が分からなかったわたしには、何がなんだか分からなかったけど、なぜ、ガラスが入れられてなかったか、それは、無人の家にガラスをいれると割られる可能性が高いからだったようです。で、ガラスが入ってないから、当然内装も手を付けられない。

ペンキ塗りの作業は、いい職人さんに恵まれて順調に進行。ところが、ガラス屋。ガラスの半分ぐらいを入れた後、いっこうに来ない。。。何度電話しても、何度文句を言いに行ってものらりくらりと来ない。。。結局単なるガラス入れに1ヶ月くらいかかってしまいました。。。

この時初めて、ブラジル人の仕事に対する責任感のなさを知ったのですが、後々、この人だけが特別でないこともよ~く分かり、日本人とはまさに「働きアリとキリギリス」

教訓「ブラジルではお客様は神様ではありません」

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ついでにアメリカのお洗濯事情

前回「お洗濯」について書いたので、ついでにアメリカの洗濯事情も。

ある程度の街に住んでいるアメリカ人には、洗濯機を購入するという感覚がありません。なんか不思議ですよね。

その代わり、アパートには必ずコインランドリ-の設備があるし、町にもブロック毎にコインランドリ-があります。

アメリカ人は、外から見える所に洗濯物を干す習慣がないから、やっぱり乾燥機が必需品。で、乾燥機で乾かすとシワにならないから、アイロンをかける習慣もないんですよね。楽チン!コインランドリ-も需要が多い分値段も日本に比べると格安です。夫婦の洗濯なら週に一度で乾燥機代も含めて$5もあれば十分でした。

コインランドリ-も色々とあって、無人もあれば、クリーニングの受付と一緒になってて、その人にチップを払って洗濯が終わった後乾燥機に入れて、乾いたらたたんでもらうことも可能。近所なら洗濯の間ちょっと家に戻ってと行ったり来たりできるけど、ちょっと離れてる場合は結構面倒。わたしが利用していたランドリーは無人で、すぐ目と鼻の先だったから行ったり来たりしてたんだけど、ある日やられました。

彼のジーンズがなくなってた。

女性用の下着は、よく盗まれると聞いてたから家で手洗いしてたんですが、ジーンズを盗む人がいたとは。。。しかも、たいした代物でもなかったのに。

当初、ランドリーになんかティッシュのような薄っぺらい白い紙がいつもたくさん落ちてるから、「いったい何だろう???」って不思議でした。でも、ある日ドラッグストアで正体を発見。乾燥機に洋服を入れると、ポリエステルの入った服は静電気がすごく発生するんですね。でも、この変な紙っきれを一緒に入れておくと静電気が起きない上に、香りもついてていいにおいになるんです。
日本も乾燥機の需要が多くなってきてるみたいだから最近は売ってるかも。

意外に社交の場にもなるランドリー。移民の多いアメリカだけにアメリカに来たばっかりの外国人に使い方を聞かれたり、たまに会う人を好きになったり、声を掛けたり掛けられたり。アメリカに旅行に行ったら、汚れ物を持ち返らずに、コインランドリ-に足を運ぶのも楽しいかも♪

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ブラジル人のおしゃれ

今日は、ブラジル人のおしゃれについて。

だんだんお洋服屋さんっぽい内容に!

昔、新聞の投稿欄で
「わたしの主人はフランス人で、ジーンズはもちろんのこと、パンツにもアイロンかけるんです」

というのを読んだ事があります。当時は、全くの他人事。「フランス人は几帳面そうだ。」
くらいに覚えてたけど、

なんと!ブラジル人もそうなのです!!!

誰もしわしわの洋服を着てません。というか、しわしわの服を着てると、確実に貧乏人だと思われる。

貧乏人に見える→どこに行っても軽くあしらわれる(ブラジル社会の常識)

Tシャツもジーンズもおろしたてのようにピンピンしてます。

で、誰がアイロンをかけるのかというと、お金のない我が家ではモチロンわたしです。。。

でも、いい事も発見しました。かなり着古したTシャツでも、アイロンをかけると生き返る。みなさんも、オークションなんかで売る時は、のりをきかせてアイロンをかけて写真を撮りましょう。売れ行きが違いますよ。

話しは戻って、通常、中流以上の家庭には、週に一回お洗濯のお手伝いさんがやって来ます。そして、大家族のブラジル家庭の1週間分を大量に洗濯するんですね。まぁ、乾燥してて日差しの多いブラジルだから素早く乾くものの、この国には自動洗濯機どころか、脱水機も普及してません。

そんなだから、わたしが自動洗濯機を購入したときには、みな物珍しそうに観察に来ました。

なんで、脱水機もいらないか?もちろん日本のように湿度が高くなくって洗濯物が乾きやすいのが一番の理由だけど、結局、お手伝いさんがやることだから、機械にお金を払わない。取り敢えず、汚れを落とすのは、クルクル回る洗濯機がやってくれるけど、すすぎと絞りは手動。かなり重労働なお洗濯。そして、アイロンには洋服が乾いた頃に、またアイロン専門の人に来てもらいます。これも、人任せだから、金持ちでもそうそうスチームの出るアイロンなんかに投資しません。霧吹きでシュッシュッと水をかけながらの作業。しかも、パンツまで。。。すごい量です。

そして、丸一日働いた彼らの日給は1,500円くらい。。。

人件費という感覚の薄いブラジルです。。。

後日、この考え方が全ての経済に影響してることを書きたいと思います。
お楽しみに~。

。。。。って、誰か楽しみにしてるのかしら???

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ブラジル ゴイアニアという町1

ブラジルへは、以前に一度訪問していたから、既に彼の家族達とは面識があって、前回と同じくお父さんが独りで住む彼の実家に到着したが今回は緊張もせずにのんびりとした気持ちだった。

初めてこの地を訪問した時は安いチケットを使ったから、サンフランシスコから4時間くらいのフライトでヒューストンへ、ヒューストンでは飛行機の準備が遅れに遅れて約9時間待ち。。。
ヒューストンからサンパウロへ約12時間、サンパウロではなんかの人達がストしてて、7時間待ち。。。サンパウロからゴイアニアへの飛行機が都合がつかず、ブラジリアへ2時間のフライト、で、ゴイアニアへ1時間のフライト。。。

無限に到着できないと思った。。。で、到着したわたしはヘトヘト、初対面の彼の家族にひと笑いしてからは、笑う気力も体力もゼロ。お父さんの家につくとそのままベッドへ。

今回は、スムーズにサンフラン~LA~サンパウロ~ゴイアニアと前回の半分くらいの疲れで到着できて楽だった。

彼らは、久しぶりの自国の雰囲気に早く溶け込みたくて、夜な夜なバーへと足を運ぶ。わたしも当初はお供していたが、日本やサンフランシスコとは全く違う気候のブラジルなだけに、ちょっと何かしただけで疲れる。夜は眠くて眠くてしょうがないのに、バーに行くと、日系人の少ないゴイアニアではみなが異常に関心を示して、露骨にジロジロとわたしのことを見るし、話が始まるとほとんど理解できないポルトガル語。たいくつでしかたがない。

あまりに眠そうなわたしを見かねて、夜のお供は週1度でいいことになった。

ちなみに、物価の安いブラジルでは、瓶ビールがR$2程度、日本円で約80円。食事を頼んでも二人で千円も出せばご馳走が食べれる。

ところで、みなさんは、ブラジルといってもリオのカーニバルかサッカーくらいしか思い浮かばないと思います。

多分、常夏の国でみんな裸みたいな格好をしてると思ってるでしょう???
わたしも当初そう思って、初めてブラジルを訪問した時は、思いっきり薄っぺらい半袖の洋服ばっかり持って来て、危うく風邪引きそうになりました。わたしのブラジルの初めての印象は

ブラジルは寒い~!!!!

ブラジルは、一日のうちに四季を体験できるという気候。朝は、涼しげな春。午後に向かって猛暑へと向かい、夕方日がかげってくると秋、夜中の12時くらいから一気に寒くなる。欧米人って日本人よりも体温が高いの知ってます?
わたし達の常識では、37度以上は熱があると考えるけど、彼らの平熱は37度くらいが普通です。だから、夜中寒くなっても、全然平気。震えてるのはわたしくらい。

重い話が続いた「うちの旦那さん」偏はひとまず終了して、これからは、軽いタッチで書いて行きま~す。

ブラジルのお店です。http://www.vk-brazil.com/jp

お店オープンまで(ブラジルへ帰郷)

彼がアメリカ市民権を取得した後、私たちは結婚した。

なぜ、それまで待ったかというと、もしも、わたしのグリーンカードを申請する場合、グリーンカード所持者の配偶者はグリーンカード取得に2年以上かかるが、アメリカ市民の配偶者の場合は即行で取れる。また、配偶者のグリーンカードの申請は一度しかできない。アメリカに住んでいる場合は、結婚後すぐに申請しなければいけないのだ。けれど、すぐにアメリカを離れる予定の私は、特にグリーンカードの申請はしなかった。必要もない。

彼が市民権を取得して間もなく、弟も無事取得。

全く稼げなくなったサンフランシスコへの未練はもうない。

私たちは暇さえあれば、残り少なくなったアメリカ生活でできるだけたくさんの安い生活雑貨や洋服を買い込んでいた。週末のアフターファイブのショッピングセンター、テロ前だったらそれはもう賑わっていたのに、今は数えるくらいしかお客がいない。下手をすると店員の方が多かったりする。

私たちはブラジルへの荷物を大きなコンテナ1つ貸切で荷物を運ぶ予定だったから、いくらでも積み込めるはずだった。

けれど、実際は、ナイトクラブ用の音響機器や電飾、デスクトップのPC3台、たまりにたまった衣類や生活雑貨を積み込んでみると以外にも荷積みは難航した。

2002年5月、私たちは大きな希望を胸にブラジルへとアメリカを発った。

そして、わたしは心の中で、何があっても二度と彼をアメリカへ働きには行かせないと決心していた。

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