ブラジル発 セクシー&キュートな洋服屋の生活裏話 (格安ネットショップもオープン ダンスファッション サルサ ナイトクラブに!) -12ページ目

クレジットカード盗用される

カード会社から電話がある前に、実際に自分が使っていない支払いのチェックをしてみると、約R$800ほどあった。日本円で3万ちょっとだが、ブラジル人にしたら大金である。月の最低賃金がR$300もない国なのだ。

さっそく日本が朝になってから電話がかかってきて、カード会社の情報とわたしの使用状況とを照らし合わせて、不信な支払いについて調査をするということだった。カード会社の人の話では、こちらの警察には届出をする必要はないということだった。

数日後、カード会社の担当の方から電話があり、盗用された全ての支払いはクレジットカードマシーンを通していないと言っていた。履歴に上がっていたピザ屋や文房具屋など、どこも大型チェーン店ばかりで、後日その中の一つのピザ屋に行ってクレジットカード払いについて尋ねたが、マシーンを通さないことはないということだった。

結局、損害額は全てカード会社が保証してくれ、盗用されたカードも再発行してもらい事無きを得た。ただ、もう1枚持っていたクレジットカードがちょうど磁気が弱くなり使えなくなり、約1ヶ月ほど現金もなければカードも使えず、うちの人はお父さんのお供で遠くに住む病気のお婆さんを訪ねに1ヶ月ほど留守だったし、とっても苦しい生活を余儀なくされた。日本人だから、お米とふりかけと多少野菜があればお肉がなくっても生活できたけれど。(笑)

結局、それから1ヶ月くらい経った頃、テレビのニュースで大規模なクレジットカード盗用の組織的犯罪が検挙されていたので、もしかしたらそいつらにやられたのかなぁなんて思っていたが、ブラジルはインターネットを使用して銀行のお金を引き出したり、今回のようにクレジットカードを盗用したりセキュリティーが弱いのか、犯人たちが頭がいいのか、どうも理解に苦しむ。

わたしのクレジットカードが盗用された期間はわずか1週間。というのも、履歴をまめにチェックしていたから。もしも、月に1度くらいしかチェックしてなかったらきっと被害額もかなり膨らんでいたと思う。なぜか、わたしの悪い予感は的中するから、これからも嫌な予感を感じたら備えることを怠らないようにしようと思わせる一件だった。

ちなみに、盗用が始まったのはあの、洋服を大量仕入れしたメーカーだったから個人的には一番怪しいと思っていた。たまたま先日近くを通ったこともあり久しぶりに寄ってみると、なんだかガラリと様相を変えていて、サンパウロの展示会にも参加していた華やかなデザインの洋服は皆無。普通以下のデザインで、値段も投売り状態。メーカー名こそ同じであったが、以前接客をしていたオーナーらしい女性も見当たらない。どうやら、人手に渡っているようだった。

ブラジルでは、ちょっと売れ始めて調子に乗って大量生産し過ぎて在庫を溜め込んで倒産したり人手に渡ったりすることが度々あるから、今回もこのパターンかなとは思ったが、クレジットカードのこともあったから、どうもやっぱりこの店が怪しいような気がしてならない私だった。

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洋服屋部分やっとオープン

2003年内中にお店をオープンさせる予定だったが、結局内装に手間取り年明けの2004年1月19日になんとか洋服屋部分だけ先にオープンする事にした。というのも、サロンの方は美容師も未定だったし、椅子やシャンプー台を買うお金もなかったからだ。

売り子の女の子もかわいくて純朴そうな人を紹介してもらった。とはいえ、彼女も面接に彼氏と一緒に来て、彼女の代わりに彼氏がいろいろと質問するのには閉口したが。。。

お店で売るための洋服は思ったよりも十分にあって、なんとか洋服屋の体裁を保てるくらいの陳列はできた。というのも、前々から日本へ販売するために購入していた地元のメーカーから季節遅れの売れ残りを格安で販売したいという申し入れがあったからだった。このメーカーは、手の込んだ装飾が売りで、日本人にもなかなか好評だった。

うちの人は、相手が可愛そうになるくらい値切りまくる。今回は、大量仕入れということで、原価ぎりぎり位まで値引してもらった。現金のないわたし達なので支払いは、いつものようにクレジットカード。このお店はクレジットカードの機械がなく、マニュアル式で今回いつになく待たされた。

ようやく支払いも終わり、嬉々として家に帰って戦利品の数々を日本向けに販売できるものとそうでないものに分け、クレジットカードの支払いまでになんとか原価を取り戻そうとオークション出品の準備に追われたものだ。その甲斐あって、売れ線の品物はガンガン売れて行き次月のカード代金の引き落とし日にはなんとか間に合った。という訳で、お店に並んだのは言ってみれば売れ残りの売れ残りだったけれど、「枯れ木も山の賑わい」というごとく、既にペイしている品物だから売れても売れなくてもあるだけで華やかではあった。

話は変わるが、最近のブラジルでは移って来た当初に比べると、クレジットカード払いのできるお店が俄然増えている。きちんとクレジットカードマシーンがあるお店は安心だけど、未だにマニュアル式の所も少なくない。ブラジルでは各種犯罪が多いから、マニュアル式で支払った場合は、必ずカーボンは家に持ち返って焼却していた。また、クレジットカードの使用履歴も頻繁にネットでチェックしていた。

ところが、ある日のこと予期していた事が起こった。

クレジットカードの履歴に見覚えのない支払いがずらりと並んでいる。
「ピザ」「ピザ」「ピザ」。。。


はっきりいってわたしはゴイアニアのピザが嫌いである。不味いのだ。それはいいとして、現金のないわたしは「大丈夫かな~?」と思うようなお店でもクレジットカードを使用していたから「カード情報を盗まれた」のだ。というのも、クレジットカード自体はちゃんと手元にある。

カード会社の被害連絡用の電話番号を調べて即刻日本に国際電話した。日本時間は深夜だったが、24時間サポートしている。電話に出た男性は、学生アルバイトといった感じで眠そうな応対だったが、わたしがブラジルから電話をしていることを知るとちょっぴり興奮しているようだった。取り敢えず、使用されたカードを無効にしてもらい、後はカード会社からの連絡を待つ事になった。

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お店の内装完了

お店の内装には。。。すごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく時間がかかった。。。というのも、壁のペンキ塗りや天井の装飾なんかはあっという間に終わったのに、お洋服をかけるために注文した鉄製のパイプ棚が全然出来上がらなかったからだ。

彼の知り合いの鉄工に安く頼んだのだけれど、いつもは暇な彼にその時に限って大きな注文が入り、当然お金になる方を優先させるから、安いうちの注文は後回し。「来週には納品できる」「来週には納品できる」を繰り返し、1ヶ月の予定がやっと3ヶ月もかかって持ち込んで来たのはいいけれど、持ち込んできた後、一向に設置しない。設置を終了するのにまたもや1ヶ月近くもかかった。。。

いつも思うのだが、ブラジル人は「最後の一息」というところで仕事を中断して一向に終わらせない人が多い。終わらせない限り代金は頂けないのに、不思議な感覚である。

それでも、やっと飾り棚が設置され、鏡が入ってガラスが入って、お店らしく出来上がった。ここまでの間に彼とわたし、なんど喧嘩したことか。というのも、感覚の違いからだ。わたしとしては、お金がないのにムリをしてまで余計な装飾は必要ないと思う。回収できるかどうかわからない物にお金をかけるとポシャった時に大損害につながる。

一般のブラジル人はお金がないから、みんなお店はシンプルにオープンして、余裕が出てきてから少しずつ手を加えて行くのだ。というか、お金がないのだから当然の話である。ところが、うちの場合、彼がアメリカに出稼ぎしていた時に作ったブラジルの銀行で口座にお金がなくてもかなりの額を借金できる。そういうこともあり体裁を整えようとする彼。まぁ、華々しくアメリカからご帰還して来たプライドがショボい外観のお店を出すのを憚ったのだろう。

とはいえ、ブラジルの金利はバカ高い。クレジットカードの支払いを滞納すると、月に20%近い金利がつくから日本のサラ金並み。当初、わたしはそんなことを知らなかったから、なんでクレジットカードの支払いが一向に終わらないのか?なんで銀行のマイナスアカウントが増すのわからなかった。

当時、ブラジルでの収入はなかったから、わたしのネットでの洋服販売で全てを賄っていた。その頃はかなり売れていたから、ブラジルで生活する分にはなんとかなっていた。とはいえ、売り上げは全て日本の銀行に振り込まれるからこちらでの支払いは主にクレジットカードに頼っていた。現金は送金してもらう以外に入手する方法がなく、たまに家族に自分のお金を送金して手数料の最も安い郵便局からブラジルに送金してもらっていたが、到着までに1ヶ月はかかる。クレジットカードでの買い物しかできないから、日々の小さな支払いをするお金がない。当時は、日本円でわずか10円くらいのパンさえも買う余裕がなかった。しかも送金してもらっても、彼のマイナスアカウントをフォローするとすぐに消えてなくなってしまう。

この頃まさに、「愛ではご飯は食べていけない」と思った。
「背に腹は変えられない」、奇麗事を言って霞を食べては生きられない。「お金」というものが結婚生活には不可欠な要素なのだとしみじみと思わせられた。これは、日本で結婚生活を迎えていたら、決して味わうことにない試練(?)だったかもしれなかった。このことがあったから、お互いの思いを吐き出しての喧嘩もたくさんして相手のことをより理解できたと、常にポジティブ思考のわたしは思うのだ。

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美容師を探す

「サロン」と「洋服屋」をオープンするに当たり、内装の準備と併せて「美容師」を探す必要があった。わたしは、美顔やマッサージはできても「ヘア」に関しての知識はない。あれこれ知合いに聞いてみたり、ゴイアニアの美容学校を訪ねてみたりしたがなかなか良さそうな人は見つからなかった。ブラジルに果たして美容師の資格というものが存在しているかも謎である。ちょっと器用な人は、門前に「美容室」という看板を立てて何の登録もなく小銭を稼ぐ国である。

すると、ある日、おばさんの家に遊びに行ったうちの人が嬉々として帰って来た。

「今日、おばさんの家に従兄弟で美容師のホナウドが来てて、知合いで腕のいい美容師を紹介してくれたんだ。君もきっと彼女のことを気に入ると思うよ!」

従兄弟が紹介してくれたという美容師は、結構中年のおばさんで美容師歴も長いとか。。。で、わたしは嫌な予感がした。うちの人、中年の口の上手いおばさんにいい含められ易い性格なのだ。今まで彼が「すごくいい人」と表現したおばさんで「いい人」と言えるような人は一人もいなかった。みんな、上辺は「いい人」なのだが、どこかしら腹黒さが滲み出ている。同姓だから分かるのかも知れないが。。。

けれど、せっかく彼がお勧めしてるし後日ここを見に来ると言ってるから、取り敢えず「いい人だといいね」とか話しを合わせておく。

そして、当日現れたのは、こういう表現をしたくないのだけれど、美容に携わる人として評価すると「その辺にいるおばちゃん」だった。。。一見して、一緒に働きたくないタイプ。華というかオーラが全くない。しかも、一応面接だというのに彼氏らしき人を連れて来てる。で、話しをする時もどっちが面接に来てるのか分からない態度。ブラジル人式である。

ここが田舎だからかもしれないけれど、ブラジル人は、職場の面接に彼氏とか家族を連れてくる。しかも、本人でなく付き添い人が質問したりするのだ。これだけでも、日本人の感覚では却下なのに、わたしが恐る恐るした唯一の質問

「自分で使う道具、ハサミとか持ってる?」

の答えは「NO」であった。。。

「自分のハサミを持っていない美容師なんて信用できない。。。」

もう、わたしの中では彼女は絶対不採用だったけれど、彼女のことを気に入ってるうちの人にどう説明したことかと思いを巡らせていた。というのも、彼は思い込みが激しい性格だ。ところが、まだ、内装を触っていない店舗予定の説明をしていた彼に彼女はいろいろと指示を出して来た。「ここには○○が必要だ」「ここは××してほしい」ブラジル人はおしゃべりで調子に乗る人が多い。うちの人が素人だからと下手に出たのをいい事に彼女の口が災いした。彼は、人から口出しされるのが大嫌いなのだ。彼女の言い方は、提案を通り過ぎて完全に指示だった。これを見ていたわたしは、余計な説明をしなくていいなとホッとしていた。

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お店オープンまで2

我が家の1階の商業スペースは、まぁまぁ広さがあったから、最終的に半分「サロン」半分「洋服屋」としてオープンすることに決めた。

どうして洋服屋を入れたかというと、今後ネットでの販売を考えた時に、店舗が存在した方がお客様に安心感を与えると思ったからだった。

その日から、わたし達は店舗の内装をどういう風にするか日々プランを考えた。ブラジルにも丸投げできるインテリア業者は存在するが、そうした業者はお金持ちを相手にしているから料金が高い。ブラジルに来て以来、現地収入がない上に、トラックの修理に思わぬ大金を払ったわたし達だったから、懐に残されている資本金はすずめの涙ほどだった。

ブラジルで家を建てる場合、たいていの人達は自分たちで建築資材を選んで現場に持ち込むから、大工達が材料を揃えるということはない。大工の棟梁のような人が、必要な材料を紙に書いてくれ、そのメモを持って本人が建設材料店に行って購入する。こういう段取りだから、家を建てるのはなかなか面倒な仕事だ。また、途中で材料を買う資金が切れて骨組みの段階で放置されている家や、外装が終わらないままに住みながら少しずつ財布と相談しながら材料を買って仕上げていく家もたくさんある。家が建つのが早ければ早いほどそこにお金があるのが明らかに分かるから、泥棒に狙われる可能性も高くなったりする。この国では何事ものんびりやった方が安全なのだ。

我が家の場合は、ほんとうにお金がなかったから、いろいろな情報を頼りに少しでも安く仕上げてくれる腕のいい塗装屋やガラス屋、鉄工、石工など、個々に価格交渉してやってもらうことになった。

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お店オープンまで1

弟と財産を分けた後、彼とわたし、何の商売をして食べていこうかと話し合った。牧場で牛を放牧はしていたが、それだけでは到底生活できない。我が家の1階の一部は商業スペースとして確保してあったから、賃料はいらない。何かしら、食いっぱぐれしなさそうな商売を考えた。

最初に考え付いたのは「酒屋」。ブラジル人と炭酸飲料、ビールは切っても切れない間柄。まぁ、それなりにやっていけそうだった。けれど、今一つ「ピン」と来なかった。

次に考え付いたのは「郵便局」。当時、ブラジルは資本金約40万円で郵便局が開設できた。これは、なかなかいいと思い、さっそくゴイアニアの郵便局を管理する事務所へと出掛けた。ところが、残念なことに次年度から募集する郵便局は、郵便局と何かしらの商売が抱き合わせたものに限るとの事。というわけで、残念ながらこれも断念。

ブラジルに来てから、なんの収入もなく不安を覚えたわたしは、アメリカにいた時、ベビー服を日本のオークションで販売していた経験を生かして、ブラジルのドレスをダンス向けに販売していた。ここゴイアニアは、服飾産業が盛んでたくさんの洋服問屋が軒を並べている。ここに来た当初、そんなこととは知らなかったから、洋服屋があまりにたくさんあることに疑問を感じていた。

日本へのドレスの販売は好調で、毎日のように日本へ郵便を出していた。そういうこともあって「郵便局」をやろうかと考え付いたのだった。「郵便局」が駄目になった今、どうせやるのなら自分の好きなことで、できること。

わたしは、アメリカにいた時、「ネイル」と「エステティシャン」の資格を取っていた。日本では、これだけで食べていくことはかなり難しいだろうが、アメリカに住んでいたら最も食いっぱぐれしない職業だと思う。「ネイル」は、黒人女性にはなくてはならないお洒落だし、「フェイシャル」は、白人女性には不可欠のケアだった。

ブラジルにこれが当てはまるか否かは不明だったけれど、美容というものの必要ない国はないはず。という理由で、「サロン」をするという案が一気に浮上した。

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ブラジルの税関

ブラジルに帰って来て約2ヶ月が経過して、遅れに遅れていたアメリカからコンテナで送った荷物がサンパウロ近くのサントスという港に到着したと連絡を受けた。

サントスに着いた荷物達は税関のチェックを受けるのだが、なんと税関は「ストライキ」中。。。ブラジルの税関は、給料の値上げを要求してすぐストライキを起こす。しかも、期間も1ヶ月くらい平気で仕事をしない。その間、税関の通過が必要な荷物は港や空港で足止めを食うから、迷惑この上ない。

荷物は港に着いているのに受け取れないのである。しかもその間、民間の倉庫に保管せざるを得ないから保管料金まで取られる。とんでもないシステムだ。

結局、荷物が開放されるのに約3ヶ月もかかった。その間、灼熱の倉庫の中に入れられていたため、たくさんの物がダメージを受けていた。それどころか、数々の金目の品物が消えてなくなっていた。まずは、わたしの「香水」3本くらい。ほとんど新品の「プレイステーション2」、新品の「コードレス電話」。確実に分かったのは以上だったが、きっともっと盗られていたに違いない。

税関は、泥棒の片棒を担いでいる上に「税金」までかけてくるから本当にムカつく。

サントスからここゴイアニアまで大型トラックを借りて持って来てもらうのだが、どうも信用ができないとうちの人は深夜バスに乗ってサントスまで出掛けていった。

いつものことだが、うちの人は出先から連絡してこない。わたしは慣れているから、予定より日にちがかかっていても「知らせのないのが元気な印」と構えていた。4日目の夜に裏のお義父さんが「ブラジミールは着いたか?」と聞いてきて、「あぁ、今こっちに向かってるんだな」と思い「まだだよ」と答えると、お義父さんはすんなりと自分の家に入って行った。

夜の12時を回ったくらいに、家の前に大型トラックが停まったようで、エンジン音と彼の声が響き、犬たちが騒ぎ始めた。ゲートを開けると、そこに汚れまみれた彼の姿があった。

荷物の搬入のために、姉に電話して数人の男性を手配していたので、たくさんの重い荷物があった割りに、荷下ろしは30分くらいで終了した。平日の深夜を回っていたので、仕事が終わるとみんなさっさと帰って行った。

誰もいなくなってから彼はシャワーを浴び、ほっと一息ついてサントスでの出来事を説明した。荷物の引き受けに書類を持ってあっちこっち振り回されすごく時間がかかったこと。(ブラジルはいつもこう)倉庫からトラックに荷物を搬入するのに、あまりにみんなが荒々しい扱いをするから、自分が中心になって壊れ物を搬入したこと。トラックの運転手のスペイン人の親父がアル中で、1時間に一度は必ずパーキングに止まってピンガという強い酒を引っ掛けて運転して、トラックが蛇行するから、途中から自分が運転を代わったこと。

それでも、待ちに待った荷物が届き、今までキャンプのような生活をしていたわたし達だったから、ちょっとほっとした。

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事件の真相

弟のトラックが盗まれて1週間が経過したが、一向に見つかる気配がなかった。

うちの彼は、お節介ながらも弟のために、いつもお世話になっているこの町一番の占いのおばさんを訪ねてみると、おばさんが意外なことを言った。

「今回の事件には、弟の彼女が深く関わってるよ。」

これを聞いたうちの人と姉は、弟に言うべきか言わぬべきか迷った挙句、しばらくの間黙って様子を伺うことに決めた。

トラックを盗まれた弟は、レストランの二階の家にいるのが怖くなって、彼女のお母さんの家に転がり込んだようだった。この彼女と付き合う以前の弟だったら、姉の家に転がり込むところだったが、いろんな悪態をついた後、弟は家族とは疎遠になっていた。

それから、あっという間に1ヶ月ほどが経過して、相変わらずトラックは見つからず、わたしはその事件さえも忘れかけていた頃に、うちの人が意味ありげに弟の話を始めた。

その内容とは、弟のトラックの中に彼女は自分のバッグを乗せていたのでトラックとともに盗まれたらしいのだが、先日、犯人と思われる人物から「身分証明書を返してもらいたかったら金を払え」と刑務所から電話があったとか。

彼女は、自分の身分証明書を悪用されたくないけど、現金がないから弟に貸して欲しいと言ったらしい。で、弟は兄と姉に相談した。

「愛は盲目」とはいうけれど、どっから聞いてもおかしな話である。身分証明書が盗まれたとしても、いくら混沌とした国のブラジルといえ、なんらかの対処方法があるはずだし、犯人が刑務所内にいるんだったら、簡単に割り出せるはずである。

頭が悪すぎる。。。

結局、警察にこの話をして、彼女をマークしてもらうことになった。弟もいくらなんでもこれで目が覚めて、彼女とは別れたらしい。

あれから約1年ほどが経過したが、トラックは消えてなくなってしまった。あの彼女も警察に捕まったとは聞いていない。

弟は、この未亡人の彼女と別れると、いままで自分のやったことを反省しているとみんなに謝って回っていた。けれど、その言い訳が

「あの女に黒魔術をかけられて自分を見失ってしまった。貪欲な女だった。目が覚めて本当に良かった。」

と真顔で話し、回りのみんなも「そうだ、そうだ」と言っているのを聞いて、ひとり呆れていた。

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弟のトラック盗まれる

お義父さんの元彼女のエルザが帰ってから5分とせずにまた呼び鈴がなった。

おもむろにテラスから訪問者を見下ろすと、そこには弟と未亡人の彼女が立っていた。

この彼女とわたしは一度だけ面識があった。うちの人がお義父さんと遠くに住む病気のお婆さんを訪問に1ヶ月ほど家を空けた時、ひとりで家に居たわたしに弟が「姉の家に遊びに行こう」と誘って来て、この彼女も一緒に行ったことがある。

車内で英語でしゃべる弟とわたしに

「ここはブラジルなんだからポルトガル語でしゃべりなさいよ!」

と、真顔で文句を言った。
この手の女性は、英語をしゃべれないことに異常にコンプレックスを持っている。じゃぁ、ポルトガル語でと「アナタハ ドコニスンデルノ?」と聞くと、わたしの口からポルトガル語が出てきたことにびっくりして言葉がでない。ポルトガル語で話せといいながら、会話ができない彼女に呆れながらそれ以上は話しかける気も起こらなかった。ただ、彼女の気位の高さだけは十分に理解できた。

話は戻って、弟と彼女は夕闇の中徒歩でここまで歩いてきたのか、まぁ、レストランの二階に住む弟の家からは1キロくらいの距離ではあるが。弟は誰かから聞いてうちの人がいないことを知っていたようで、

「父さんが出掛けてて裏の実家に入れないんだ。電話を貸して欲しい。」と慌てながら行った。

一瞬、家の中に入れるかどうか迷ったが、当時、犬小屋がなかったから犬を放し飼いにしている我が家に無事に入ることは不可能だし、まず、この彼女を家の中に入れたくなかったから、コードレス電話の子機をテラスから放って渡した。結局、外からは電話を使うことができずに彼らは去って行った。

夜になって帰ってきたうちの人が後で聞いた話によると、弟と彼女、電気工事のおじさんとその彼女で牧場に泊まりで遊びに行ったらしい。その日の午後から牧場に行ったうちの人とは入れ違いで帰ったとか。

弟が自宅に到着してゲートを開けたまま、車のエンジンも停止せずに牧場から持ち帰ったフルーツなどを下ろしている時に拳銃を持った賊が表われ、その場に居た者をを家に押し込んでトラックを盗んで行ったらしい。たまたまその場を離れていた電気工事のおじさんの彼女が逃げ出したため盗まれたのはトラックだけで済んだようだ。

通常のパターンだと、全員を浴室かどこかに閉じ込めて、家にある金目のものは一切合財トラックに積んで盗んでいくから、弟はラッキーだったと思う。

一方、弟から散々いやな目に合わされたうちの人だが、「家族は家族だから」といろいろと面倒を見ていた。

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事件

(ブラジルの教会では黒人の神様も祭っている)


さて、すっかりわたし達と縁を切った弟だが、もちろんレストランをオープンする兆しもなく相変わらず夜間高校に通いながらのらりくらりとしていた。

わたし達は、よく近所のセルフサービスのお店でお弁当を買うのだが、ある日のこと、うちの人がそこのオーナーと話をしていると

「今度、君の弟のレストランを賃貸することになったよ。あそこはいい場所だから、きっと今まで以上の売り上げが見込めるよ。」

とのこと。わたし達は「そんなことではないか。」と思っていたから別に驚きもせずに「グッドラック」と言った。

相変わらず、年増の彼女にぞっこんの弟は、暇さえあれば牧場に「遊び」に行って、手入れをするでもなく、わたし達が放し飼いにしていた地鶏やその卵を散々食べてくれた。そして、うちの人が大切に育てていた「マラクジャ」というフルーツの苗やパパイヤの木を切り倒したり訳の分からない行動を続けながら、牧場管理人に「ここを掃除しろ、あそこが汚い。」と文句を言っては反感をかっていた。

そんなある日のこと、訪問者の少ない我が家のベルがけたたましく鳴り響いた。

最初は、この家の電気工事をしたおじさん。

「ブラジミール(うちの人)はいるか?」とかなり慌てた様子。

うちの塀は高くって内側から訪問者が見えない。インターフォンで話してもわたしには誰が誰か分からないから、たいていは二階のテラスから訪問者を見下ろしながら話をする。うちの人は、その日の午後から牧場に出掛けていた。

「牧場に行ったけど。」

と答えるとあっさりと帰っていった。
いつもお金がなくなると「仕事くれ」といってやって来ては、完璧とは程遠い仕事をして帰る変なヤツだったから、特に気にも留めていないと、また呼び鈴が。
今度は、お義父さんの元彼女エルザ。すぐ近所に住んでいるのだけれど、お義父さんと別れてからはそうそう会う機会もなかった。

やっぱり「ブラジミールは?」と聞く。直感的に「何か事件が起きてうちの人のヘルプを求めてるな。」と思ったが、涼しい顔をして「いないよ。」と答えた。というのも、みんな普段は知らん顔してるのに、いざ事件となるとうちの人を頼りにしたがる。

エルザは、珍しく車で来てたから、同乗者と何か話した。
「彼の弟のトラックが。。。」

それだけ聞いて「あ~、弟のトラックがとうとう盗まれたな。」と思った。
なんで「とうとう」なのか、それは、いつもトラックを盗まれた経験のあるうちの人がいろんな注意をしても、「うるさいなぁ」といった態度で全然聞く耳を持たなかったからだ。

ブラジルは、住宅街で路上駐車してても特にチケットなど切られない。というか、路上駐車を長時間していたら確実に盗まれるから、普通の人は長時間路上駐車しない。けれど、弟は、よく裏のお父さんの家の近所に路上駐車して、一晩放ったらかしということもたびたびあった。

みんなの様子からは弟が殺されたとかはなさそうだった。ただ、起こるべくして起こった事件に、もともと覚めているわたしだったから、どうなることかと不謹慎にもちょっとワクワクしながら次の訪問者を待った。