ブラジル発 セクシー&キュートな洋服屋の生活裏話 (格安ネットショップもオープン ダンスファッション サルサ ナイトクラブに!) -13ページ目

財産を分ける

財産を二等分にするに当たって、二人で購入したものを上げると

○ レストラン用土地建物(二階部分弟の住居)
○ 現在わたし達が住んでいる二階建て住居(一階部分一部商業スペース)
○ ナイトクラブ経営のための音響セットと照明機器
○ 土地住居用4ロット
○ 牧場


レストラン経営からはすっかり手を引いたわたし達だったから、結局、弟が「レストラン兼住居」を取り、わたし達は「わたし達が住む商業スペース付きの家」と「音響セット&照明機器」を取るように話が進んでいた。

そんなある日、弟がいきなり不動産屋を引き連れて我が家の家の見積もりにやってきた。事前に何の予告もなかったので、わたしはかなり不機嫌でそれをあらわにしていた。そして、後日弟はレストラン兼彼の住居の見積もりも合わせてうちの人に金額を示した。もちろん、レストランの方が高い。

こうなったら、後で不快な気分にならなくてもいいように、わたし達も近場の不動産屋に見積もりをしてもらうことにした。すると、レストランは弟の見積もりとほぼ同じだったが、おかしなことに弟が持ってきた見積もりよりも我が家の値打ちが高くなっている。で、もちろん黙っていた。(笑)

後日、弟の不動産見積もりを元に「ナイトクラブ用の音響と照明器具」を付加して財産を二分にする話し合いをした。うちの人と弟、で、わたしが中間に立ってPC画面で正確に計算して行く。わたしの公平な性格を弟も知っているから弟に不利はない。

取り敢えず、「牧場」に関しては後日等分することに決めた。「住宅用の土地」は、売りに出して現金化した後に分ける予定である。

問題は、「照明機器」の値段だった。「音響セット」は、ブラジルでもいくらでも中古が売っているから簡単に価値が決められたが、彼らがアメリカで購入した「照明機器」は、ブラジルで新品を買おうとしたら税金の関係でバカ高い。といって、中古は売っていない。彼らが購入したのは5年以上も前、でも、動作確認のみで一度も使用していない。いわゆる「新古品」だ。

お互いニヤニヤとして「いくらだと思う?」と譲り合い(?)なかなか価格を言わない。黙って見ていたわたしだったが、だんだん呆れて来て、「そんなの何年も前に買った物だから半額に決まってるじゃない!」と口出ししてしまった。彼も弟も一瞬固まったが、結局は半額で話が落ち着いた。うちの人はわたしが口出ししたことで不機嫌だったが、これが、高過ぎて不機嫌だったのか安過ぎて不機嫌だったのかは未だ不明。弟は、別になにも言っていなかった。

当時のわたしは、こうした商品の値段をよく理解していなかったから「新古品」なんて半額以下が当然だと思ったけれど、後々、照明機器というものの値段がそうそうバカ安にはならないことを知って、おかしくなった。

ところが、取り敢えずのものを二分にして、貸し借りを計算している時に弟が変なことを言い出した。

「レストランは内装が出来上がってるからこの評価価値がついたんだ。だから、内装にかかった費用の半分を出してくれ。」

わたしもうちの人もこれには呆れ返った。どう考えても彼女の入れ知恵に違いないことは分かりきっていた。そんなことを言ったら、我が家の評価価値だって、わたし達が内装外装に手を加えたから価値が上がっているのだ。

けれど、ここでみみっちい金額について喧嘩腰になってもしょうがないと判断して、すっかり縁を切ることでかたを付けた。

弟の悪態

(グァバの花と実の写真です)

新しい彼女ができてから、弟はレストランの内装を急に始めた。わたし達は、弟がやっとやる気になったと傍観していたが、わたし達としては、レストランを一緒に経営する気はすっかりなくしていた。

弟は、甘えん坊で自分の意思がないタイプだったが、人に嫌われるような人間ではない。一応の常識を持ち合わせていた。

ところが、だんだん、いろんな方面から弟に対する苦情が耳に入るようになってきた。最初は叔母さんからだった。年増の彼女を連れて叔母さん宅を訪問した弟。叔母さんの暮らしは中の下。質素な佇まいの中でもいつも美味しいお袋の味に溢れていて、わたし達が訪問すると温かいもてなしをしてくれるので大好きな叔母さんだ。ところが、弟の彼女はこの質素な彼らを馬鹿にするような行動発言をしたらしい。そして、弟はそんな彼女を注意するでもなく同調していたとか。

次は、姉の旦那さんだった。弟が姉の義父から乳牛を数頭買って、なんと支払いを姉夫婦に貸していた家の建設費と相殺するように言ったらしい。姉夫婦が早急に返金できないのを知っての行為。いくら義父とはいえ、牛の売買は別の話だ。彼らだって余裕のある生活をしているわけではないのを弟も知っていたはず。

で、おまけには、牧場にこの彼女を同伴して牧場管理の家族にケチをつけた。その当時の管理人家族は自分達の食を助けるために乳牛一頭と数匹の豚を持っていた。これを弟は手玉に上げて、「彼らの家畜が牧場の食料を盗み食いしている」といちゃモンをつけた。他にも彼女と一緒になって、手入れが行き届いていないだとか重箱の隅をつつく様な内容だ。これには、わたしもカチンと来た。だいたい、最低賃金相当の月給で働いてもらっている管理人なのだ。小さな子供が3人も居て、いくら家賃電気代などがいらないといっても、十分なわけがない。子供に与えるミルクが必要だろうし、牧草を食べたところでたかが知れている。養豚に至っては、うちの人がやっていることであって、弟はノータッチのものだ。

というのも、牧場で労働者と一緒になって働く兄に比べ、牧場には滅多に顔を出さずに来れば素人っぽく勝手なことをいう弟を牧場に関わる労働者達は、まったく相手にしなかったのだ。それで、うちの人に懐いている牧場管理人を何かと目の敵にしていた。

前にも書いたように、牧場管理人と経営者の関係がものを言うブラジルでの牧場経営、これには、うちの人もカンカンになって怒った。弟は、新しい彼女に影響されたか、「お金」というものに執着し始めているのがあらわになってきた。もしも、今の彼女と結婚でもした日には面倒になると考えあぐねた末、全ての兄弟で購入した財産を半分に分けることに決めた。

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ブラジルの結婚事情

(当店の照明機器を使用したショーのワンシーンです)

レストランの内装を全て任された弟だったが、いっこうに手を付けない。うちの人は、弟に愛想をつかしていたから一切口出ししないし、知らん振りしていた。

旦那さんの兄弟は、年子で姉、旦那さん、妹、弟と4人で、弟は彼より二つ年下。一番末っ子ということもあって常にみんなに甘やかされていた。常に誰かが面倒をみてくれる状態だったから、困難な場面に立ったことがない。しかも、姉と兄は近所でも姉御、親分格。だから、彼はのんびりとした性格で甘えていた。

ブラジルに帰って来て半年くらいが経過しても、レストランの準備は一向に進まない。で、弟は何を思ったか夜間高校に通い始めた。というのも、彼と弟の頃には徴兵制度があって、ちょうど、高校2年生を終えた頃に軍で働かねばならなかったため、最後の一年を終了してない人が多い。うちの人も、後々、時間が出来たら通いたいと言っている。

確かに、学校に行くのはいいことだと思うが、夜間高校だからと昼間にレストランの内装を手がけるでもなくぼやっとしてて、何もしない。牧場の仕事も夜間高校があるからとすっかり彼任せ。そんな生活をしていて、手元の現金はどんどんなくなり、弟は食べるのにも困っていたが、ある日のこと、弟はうちの人と共同で買って弟名義にしていた住宅用の土地を密かに売り払って、うちの人には何も言わずに全て自分の懐に納めてしまった。

弟はばれないようにやったつもりだったが、こんな面白い話題をおしゃべりブラジル人が黙っておくはずがなく、わざわざ報告してきた人がいた。アメリカから帰って来て以来、近所の知り合いはみんな、彼らがどういうことになるか興味深々でうわさにしていたからだ。

で、今まで弟の様子を傍観していた彼はこのことにがっかりして、今後の仕事の一切を弟とは組まないことを決心した。

そんな中、またもや新しい話題が近所の人達の興味をそそった。弟の新しいガールフレンドのことだ。それまでの弟の彼女はたいてい年下。だが、今度は何を思ったか、10歳も年上の未亡人。弟曰く「若い彼女は全部自分が奢らないといけないけど、年上だと割り勘で楽なんだ」

40歳そこそこの未亡人。ブラジルには若い未亡人がたくさん居ることをご存知だろうか?ブラジル人は離婚が多い。で、金持ちで年を取って離婚をしたり前妻に先立たれた男性は、自分の娘よりも若い奥さんをもらうことが多い。けれど、ブラジルの婚姻届には女性の欄に「離婚した場合は財産の全ての権利を放棄する」という記述がある。この記述はもちろん同意の上で付加するものだが、貧富の差結婚の場合のほとんどこれを記載する。(わたしの婚姻届には、聞かれてもないのに勝手に記載されてました)

これを狙って、若い貧しいブラジル人女性は自分を必死に磨いて、年寄りやもめを狙う。結婚しても先が短いのは分かっているから最後まで尽くす。が、もちろん浮気はする。夫の殺人を頼む輩も存在する。そして、晴れて夫が亡くなったら、夫の財産を懐に納めて今度は若いツバメを探すのだ。

弟の新しい彼女はまさにこのタイプだった。彼女の夫は弟と付き合うほんの3ヶ月前に亡くなったばっかりだった。彼女の悪歴はその界隈でも有名で、面白半分に見ていた友人達でも、注意を促したほどだった。

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うちの犬

わたしの両親が犬猫を好きではなかったから、犬を飼うのは初めての経験だったが、オスのアイボは、かなりの変わり者のような気がする。

一応、いろいろとネットで検索したところ、子犬の時にはよく眠ると書いてあるが、アイボは寝るのが大嫌いだった様だ。眠そうにうとうとしてもそうそう寝付かない。やっと寝たと思って、傍を離れて部屋の中に入ったりすると、目を覚ますと同時に「アワワワワッキャーーーーーン」みたいな泣き声をあげて、こっちがびっくりしたものだ。

メスの子犬が来るまで、わたし達のベッドの下で寝ていたが、明け方近くになると、寂しがってクンクン泣く。で、ベッドの上に持ち上げると、わたしを母犬だと思ってか、おっぱいを捜すようにして口を開けれるだけ開けてわたしのお腹に噛み付いて「アーーーーーーン」と泣いた。

ある日、ベッドの上で寝ていたアイボ、ふとシーツの小花柄が目に入ったようで、手で引っかいてみた。もちろん、小花模様が動くはずがないのだが、彼はこれを本当の花と思ったのか、引っかくのに動かないのにびっくりして、気が狂ったように両手で引っ掻き回して、横に寝ていた彼にド突かれていた。

かと思うと、庭に山にしてあったセメントに混ぜるための砂山を一掻きしたら、引っかいた部分に砂が落ちる。これを見たアイボ、またもや気が狂ったように砂をここ掘れワンワン状態で掘りまくるが、掘った横から砂は流れ落ちる。で、またもやうちの人にド突かれていた。

けれど、このアイボにはちょっとした特技があった。教えたわけでもないのに投げたボールを取りに行ってくわえて帰ってくる。ボールを与えると、一人で永遠に遊んでいて、眠るときも自分の鼻先に大切に置いておくほどだった。

それに加えて、彼はまるで猫のように上手に手を使う犬だ。引き戸ならどんな形状でも確実に開けることができる。これで、何度となく家の中に侵入してなにか持ち出してはメチャメチャにしてくれたものだ。

ある時には、冷蔵庫も開けれるようになってシュラスコの余った肉約5キロほどをメスと二匹で全部食べては次の日おもいっきり下痢したり。。。

まぁ、いろいろとあったけれど今となっては面白い思い出だ。

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犬を買う

我が家には現在5匹のジャーマンシェパードが放し飼いになっている。
この子達がいなかったら、ブラジル生活はトウの昔にギブアップしていただろう。

アメリカで生活している時に、彼がわたしに約束してくれたことが二つ。
ひとつは、大型犬を飼うこと。もうひとつは、「アララ」というおしゃべりをするオウムの一種を飼うこと。

ブラジルに来て、最初に始めたのは犬探し。ショッピングセンターの近くの歩道にはたくさんの子犬を売っている露天がある。取り敢えず、そこに出掛けて何にしようか物色していた。当初は、「101匹のワンちゃん」の黒の点々のある犬か「シベリアンハスキー」のどちらかにしようと思ったのだが、どうも今ひとつピンと来るものがなかった。

もともと、大型犬を飼う目的は家の防犯のためだったから、ふと彼が「警察犬のジャーマンシェパードがいいんじゃないか?」という一言で、なぜかすんなりこの種に決定して、また、後日露天を訪ねた。

ありとあらゆる種類の子犬たちが売られているのに、残念ながら「ジャーマンシェパード」は真っ黒なのしかいない。どうも、真っ黒なジャーマンシェパードはそれっぽくないから、それからは、毎日のように新聞を購入しては「売買欄」で「ジャーマンシェパード」を探したが、やっぱり見つからない。

そうこうしていたら、たまたま売りに出てるのがいると教えてくれた人がいた。嬉々として訪問すると、まだ1ヶ月半ほどのオスの子犬に出会うことができた。しかも、値段はR$50、露天で買ったらR$250だったから、とってもお買い得な子だった。

名前をいろいろと考えたけれど、なかなか思いつかず、ふと彼がサンフランシスコで見かけたロボット犬「アイボ」を思い出して、「アイボ」と命名。このアイボ、かなりの聞かん棒でなかなか手を焼いたけれど、現在2歳半となって、最近ではとってもいい子に育ちました。

そして、前に書いたトラックが盗難され鬱々としている時にたまたま通りで見かけたジャーマンシェパードのメスの子犬を彼が衝動買い。ほんとは二匹もいらなかったけど、買ってしまったからには置くしかないと当初は困ったが、二匹の方が手が掛からずに勝手に遊んでくれるから良かったけれど、悪さも二匹でやってくれて最初に二匹、ほんとに手を焼いた。

とはいえ、ブラジルに来て右も左も分からず、初っ端からトラックを盗まれ彼は一日中外出してて、一人っきりのわたしにとってこの二匹の犬は、唯一の話し相手だった。

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食料大国ブラジル

(アセロラの花と実。熟してるのは甘みがあって、生で食べても美味しいです。)

ブラジルを訪問したことがなかった頃、彼と弟がわたしによく言ってたのが、

「ブラジルは、通りにマンゴーやバナナがなってるから食べ物には困らないんだよ。」

ほんとかいな???と思っていたわたし。うちの彼の口癖は、

「ブラジルに帰ったら自給自足の生活を目指すんだ。」

自給自足なんて、食料のほとんどを輸入に頼っている日本では夢のまた夢。「そんなことが簡単にできるはずはない、いつものブラジル人の大口に違いない」と思って聞き流していた。

でも、実際ブラジルを訪問してみると、ほんとにマンゴーが通りに鈴なり。でも、そういうマンゴーはたいてい小ぶりか味が良くなくって、なってても相当のマンゴー好きでない限り取って食べないようだった。

初めて彼と弟が共同で購入した牧場を訪ねた時は、彼らの言っていたことが満更のでたらめではないと分かった。牧場には牧場主が訪問した時に使用するための家があるのだが、この家の周りにはありとあらゆるフルーツの木が植えられていて、常に何かしら熟していた。

まず、お決まりのバナナは、季節を選ばず常にどっかにぶら下がっている。ブラジルはバナナの種類も豊富で、日本人が好む甘めの「ナニカ」に「マサン」という酸味がさわやかなバナナが生で食べる代表みたいだ。他には、日本ではあんまりお目にかかれない料理用のバナナ。これは、生で食べようとすると渋みがあって美味しくないけれど、バターで炒めたり油で揚げると甘いサツマイモのような味になる。

ちょうどクリスマス前後は、マンゴーのシーズン。マンゴーもまた、多種多様で小ぶりから大きいのまで味も少しずつ異なる。日本ではベチャっと甘い味がどうも苦手だったけれど、これもまた、酸味のあるマンゴーを枝から選んで千切り、ナイフで皮をむきながらその場で食べるとこの上なく美味しい。

マンゴーが終わる頃には、パパイヤとアボカドのシーズン。ブラジルのアボカドは日本で通常売られてるものとは品種が違って、馬鹿でかい。で、ブラジル人はこれをミルクと砂糖でシェイクにして飲む。当初、甘いアボカドなんてとんでもないと思っていたが、慣れると濃厚な味がくせになる。

他にも、イチジク、レモン、オレンジ、デコポン、アセロラ、木苺、グァバ、名前を書いても想像できない日本にないフルーツもまだまだ盛りだくさん。コーヒーだって当然ある。

鶏は放し飼いになってるから、毎日規則的に地卵を産んでくれるし、豚もいれば牛もいる。作ろうと思えば、土地はいくらでもあるからお米も大豆もコーンも植え放題。しかも、特別手入れをしなくても、ぐんぐん育ってくれる。

牧場に住み込みの管理人の家の周りには、一家では食べきれないほどにレタスやきゅうりなどの青物野菜を栽培していて、牛の糞が染み込んだ土地では簡単に大きくなるし、消毒をしなくてもなぜかそんなにムシは付かない。きっと、他の美味しい食べ物に恵まれてるからだろう。

そんな、牧場の風景を見ていると、ブラジルでの自給自足はそんなに難しいことではないと気づいた。いつの日か、牧場に隠居するのも悪くないと思う。ただ、牧場でもDSLが使える環境になったらだけど。

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牧場経営2

うちの旦那さん、トラックが手元に帰って来て以来、盗難修理で溜まったストレスを吐き出すように牧場へ泊り込んで日雇い労働者達と一緒になって牧場の修理に精を出していた。通常の牧場主は、支持するだけで汚い仕事はやらないから、労働者達は彼を信頼して言うこともよく聞いてくれたようだった。

とはいえ、彼は牧場経営初心者。右も左も分からない。他の牧場経営者や牧場関連の品物を扱う店、牧場近くの町の人々、いろいろな人と話をしていると、次から次へ欲しいものが出てくる。牧場は、お金を掛けようと思えば、いくらでもつぎ込む余地がある。

誰かが「これは絶対必要だ」といえば、欲しくなる。「これがいい、あれがいい。」と人々は薦めても、「これは不必要、あれはなくてもいい。」とは教えてくれない。
相手はアメリカ帰りでお金を持ってそうなのだから当然である。

一応、必要なものだけを最小限に購入していたが、ある時、電流の走るワイヤーを柵に巡らせると牛が柵に体当たりしなくなるから柵も壊れないし牛も逃げずに経済的だと誰かに聞いた彼は、「これは付けるべきだ」と判断。弟も新し物好きだから、二つ返事で賛成して、この装置を取り付けることに。

事前に計算はしていたものの、とんでもない長さのワイヤーが必要でかなりの出費。これを取り付けてから一年以上が経過したけれど、果たして今もちゃんと電流は通っているのか謎である。彼に尋ねてもいいけれど、あれだけお金をつぎ込んでもしも運用していなかったらわたしにストレスが溜まるので、これについては聞かないことにしている。

この電流が通ったワイヤーをつけたからといって、柵を修理しないで良い訳はなくこれもまた、大量の有刺鉄線を購入して修理をしたのだが、これを牧場管理の若者クレバーにメートル単位のボーナスとして仕事をやらせたから、クレバーはやる気満々で通常の仕事を放ったらかしにしてまで、柵の修理に専念していた。この作業。一人では難しいためクレバーの兄を日雇いで雇ったのだが、後から彼らがわざと壊れやすく修理したらしいという報告を受けたうちの人。これまで、クレバーのことを敬意を払って接していたが、それが逆効果になったことを知って、やはり雇用人は雇用人として厳しく接するべきだと悟った。

ところで、なんでクレバー兄弟は壊れやすく修理したか?答えは簡単。すぐ壊れたら、また修理が必要になってボーナスがもらえるから。この考え方はブラジル人に共通していて、例えるなら「雑草除去を根元からしない」国民性である。

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牧場経営

夢の牧場を手に入れたものの、彼らは牧場に関して全くの素人だった。かろうじて、お父さんは牧場生まれの牧場育ちだったが、長男でありながら故郷の牧場を飛び出して、ここゴイアニアで全く畑の違う技術者の仕事に就いていたところを見ると、牧場はあんまり好きではなかったように思える。

それでも、たまに一緒に牧場に行くと、70歳を超えているにもかかわらず、裸馬に上手に乗るところをみると、牧場育ちが伺われる。

彼らの購入した牧場は、水源にも恵まれていて誰が見てもいい買い物だったと口を揃えていうけれど、前のオーナーは、ここ以外にも大きな牧場を所有していたらしく、あまり手入れがされていなかった。

取り敢えずは、牛のワクチン注射やトラックへ乗せる時に使用する「コハウ」という囲いがつながったものを作り直す必要があった。また、牧場の境界線を囲む柵もかなり老朽化していたので、完全に修理しないと壊れたところから牛が逃げ出してしまう。といっても、ひとつの村の大きさもある牧場だから、修理にはそれなりのお金と労働を要した。

アメリカに住んでいる時に牧場経営をすると彼に聞かされて、わたしの頭の中に浮かんできた光景は、朝は鶏と一緒に目を覚まして、牛の乳搾り。。。

けれど、現実のブラジルの牧場経営というのは全くの人任せ。もちろん、牧場に住んで本人が中心になって経営する人もいるけれど、たいていの場合は、牧場に住み込みの管理人家族を置いて、日常的な牛の管理をしてもらい、牧場主は多くて週に1度、人によっては一月に1度くらい牧場を訪問しては必要な仕事を指示したり牧場の状態をチェックするだけ。

この人任せの経営で楽のようだが、全ては管理人と経営者の関係に左右される。いい管理人に恵まれて、経営者も有能であれば牧場の管理はさほど大変なことはないが、ここはブラジル、なかなかいい管理人に恵まれないのが事実。

アメリカに居た間、管理を頼んでいた家族は、なんと勝手に乳牛のミルクを売りさばいて自分の懐に入れていた。まぁ、田舎の牧場だからそういう悪さはすぐにバレてしまうのだけれど。

で、次に入ったのは近所の小さな牧場主の末っ子で、20歳くらいの独り者の若者だった。いままで使われる側にいた彼らだったから取り合えず自分たちが受けたひどい扱いはしないようにしようと努力をしていたけれど、傍から見てると「甘やかし過ぎ」に思えた。とはいえ、わたしはブラジルの雇用関係がよくわからなかったから、「こんなものなのかなぁ」と口出しせずに傍観していた。

レストランの建設

以前、うちの旦那さんの夢のひとつに「レストランを経営する」というのがありましたが、ブラジルに帰って来た時にはレストランの外装はほぼ出来上がっていて、内装残すのみとなっていた。

土地の値段が上がる前に彼が「これは!」と思い購入を決めたらしいが、当時はなんにもなかったご近所には、現在はたくさんのマンションが立ち並んでいて、レストランをオープンしてもお客さんには困らない立地条件を備えていた。

本格的なシュラスコとセルフサービスを予定したレストランはなかなか大きくて、満席の状態で80名くらい収容できる規模で、二階には弟が住む予定となっていた。

彼と二つ違いの弟は、性格が全くの正反対。
彼は心配性で常に何か先のことを考えてるタイプ。一方弟は、「明日は明日の風が吹く」といった性格で、目の前のことしか特に気を払わない。弟はまさに代表的なブラジル人的性格ともいえる。

小さい頃から、兄貴が親分肌で常に兄の後をくっついて来たように見えた。

アメリカでも、その状態だったのだが、うちの旦那さん、自分がこうだと思ったら誰がなんと言おうと曲げないところがあって、それでよく兄弟喧嘩をしていた。当時、ポルトガル語が全く分からなかったから、喧嘩の細かい内容は理解できなかったが、性格の違いが根本にあることはわたしにも分かった。

アメリカでの最後の半年くらいは、喧嘩をしない日の方が少ないくらいで、わたしは密かに「こんな状態では、とてもじゃないけど兄弟で商売はできないだろうな。」と思っていた。

ブラジルに戻って来ても、兄弟の仲はうまく行かず、彼がレストランの内装について弟に何か提案すると弟はケチをつける。これが重なって、

「だったら、レストランの内装の準備は全部お前がやれ。俺は牧場の修理をするから。」

といって、レストランに関してはわたし達は全く口出し手出ししないことにした。

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ブラジル料理

サンフランシスコに住んでいた時、彼と弟は思い立ったようにブラジル料理を作ることがあった。ピザ屋に勤めていた時には、材料を持ち込んでピザ屋の厨房で大量に作ってはみんなにご馳走していたようだ。その料理はブラジル人はもちろん、ピザ屋で働いてるアメリカ人や中国人にも好評でみな口々に「ブラジル料理屋をオープンしろよ」と言っていた。

わたしが初めてブラジル料理を食べたのは、10年以上も前に東京の渋谷で当時できたばっかりの「シュラスコ屋」。いわゆるお肉の食べ放題で、外人ウェイターが要らないと言うまで、いろんな種類の肉の串刺しをスライスして回るという形式。

でも、はっきり言って不味かった。味はないし、生焼け。

そいう記憶があったので、彼らがブラジル料理を作ると言った日も全然期待してなかったのだけれど、出来上がった料理は、日本で食べたシュラスコとは格段に味が違う。もともと牛肉が好きではなかったわたしでも「美味しい!」という言葉が自然に出て来た。

和牛って霜降りになってたりして柔らかいから、そうそう肉に下準備が必要でないし、固い肉の場合、日本は紙切れのように薄くスライスしてあるから、噛み切れないことはないけれど、アメリカやブラジルの牛肉は赤味と脂身がしっかりと分かれてるから、下準備をしないと食べれたモンじゃない。ブラジルの基本的な薄目のステーキの作り方は、しっかりと包丁でたたいて、下味は、ニンニクのすり潰し、塩、コショウ、レモン(ライム)でしっかりつける。これをウェルダンに焼いて仕上げにタマネギのスライスを加えて甘みを出す。

ところで、みなさんは、ブラジル人はお米を主食としているのをご存知でしょうか?わたしにとってはありがたいのですが、お米は日本米とは全然違って、タイ米のようにポロポロしてます。というか、ブラジル人にとってお米が一粒ずつポロポロ分かれているのが上手に炊けた証拠。日本のチャーハンの作り方に似てます。

まず、油を多めに引いた鍋にニンニクのすり潰しを加えて香りを出し、洗ったお米を加えて炒めます。これにお湯を加えて、沸騰したら塩を加えて炊くというより煮ます。炊き上がりはなかなか美味しいです。

あと、ブラジル料理で忘れてならないのが「フェィジォン(豆)」。うずら豆(黒豆)を圧力鍋で煮た後、ニンニクをすり潰したものを油で炒めて豆を加え塩、コショウで味を整えたもの。

昔、テレビでラモスが久々にブラジルの実家に帰るという特集があったのですが、ラモスはお母さんの手作りの「フェィジォン」を楽しみにしていて、帰るなり、ご飯にこれをかけただけのものを「美味しい、美味しい」といって食べていたのを見ると、彼もかなり貧しい出のようです。

というのも、貧しいブラジル人家庭ではお肉を買うお金がないから、ご飯にフェィジォンをかけただけのものを食べています。

ちなみに、ブラジル人のもっともお気に入りのシンプルランチは、ご飯、フェィジォン、ステーキ、サラダ(必トマト)。日本人にとってのご飯、お味噌汁、焼き魚、冷奴といった感じでしょうか。

ブラジル料理は、基本の味付けが同じなので、一皿に全部乗せて、ぐちゃぐちゃに混ぜて食べます。当初は、見た目が汚いから日本人としては抵抗があったけど、混ぜて食べると美味しいことに気づいてからは、もちろんわたしもぐちゃぐちゃに混ぜて食べるようになりました。

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